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9月6日大阪正心館『伝道大会』(1) 本地川瑞祥さん

 伴侶が昨日9月6日、衛星中継された大阪正心館の『伝道大会』を聞きに行ったので、そのノートを元に内容の一部と、本地川さんという人について書いてみる。

 本地川さんの挨拶が、あったが、これには、参加者の会員さん、口をそろえて「大変良かった」、とのこと。

 具体的な内容は、まず、

 本地川「私たち仏弟子だけでは政権を取れなかったということで、本当に総裁先生に対し申し訳ないという思いでいっぱいです。
 私自身、本当に不甲斐ない弟子だと痛感しています。申し訳ありません。」

 と頭を下げた。
 さらに、ご自身が選挙の結果をとって辞任したが、九月一日の党役員の無記名投票で選出され、

 「その結果を主に、先生にご報告いたしましたら、心ならずも(涙声)……、「政党業務全般に関し、全責任を取れ」という意味のご下命を頂き」
 と涙ぐみ、
 「是非、皆様方の中からも、またご意見や成功や失敗の体験等、ございましたらどうぞ党の方にお寄せ下さい。」
 と頭を下げ、
頭を下げ、頭を下げしながら、
 「尊いお布施にもかかわらず、私たち幸福実現党の能力不足とか、色んな経験不足から皆様にとっても「非常におかしい」「お金の使い方が無駄じゃないか」そういうことは多々あったと思います。
 それ以外にもご批判は賜っておりますので、これは真摯に受け取りまして、反省し、次回からはそういう無駄なお金を使うことがないように、治めて参りますので今後とも、またご協力、またご支援のほど、伏してお願い申し上げます。本当にありがとうございました。」

 と頭を下げては拍手が起こる。

 さらに、総裁が、本地川さんに言われたという、

 大川総裁「宗教の偏見を打ち破って表に出る戦いだった。ある程度、表に出ることは出来た。」 

 という言葉などを交えて、日本に幸福実現党がずいぶん浸透したという話をし、

 「政治活動と伝道活動は全く一体のものです。人と魂を本当に救うべく、聖なる使命としてこの二つの両輪がある。そのために、秋の映画「仏陀再誕」を成功させたい」

  としめくくって、話は終わった。
 「誠意の塊」のような挨拶に思われる。
 ……いかにも「らしい」なと思った。

 伴侶の感想は、
 「これまでの役員の話の中でも、ずばぬけて腰が低く、誠意のある挨拶だった。
 その実のある態度には、議席がとれず、がっかりしている会員さんたちを癒す力がある。」

 ということである。
 現場で傷ついた会員さん達が、本部のやり方や手際の悪さに関し、もし不満をもっていたとしても、本地川さんの顔を見、話をきいているうちに、かなり減ったはずだ。
 現場の不満というのはかなり怖いので、ほうっておくと大変なことになる。
 もともと、利害の団体ではなく、信仰者の集まりである。傷ついた実働部隊を癒すのは、宗教者としての誠意しかないのではないか。

 本地川 瑞祥(もとちかわ ずいしょう)氏。
 いったいどんな人なのか、最近の会員さんは知らないかもしれない。
 だが、小生たちには、かなりポピュラーな人である。
 鹿児島県人にしては、当たりが柔らかい。
 しかし、おっとりしていて、自分に対する悪想念にもあまり気付かず、頓着しないおおらかさは、やはり南の人のものだろうかと思う。
 B型タイプのはずだが、辛抱強く、実は仕事の手堅い人ではないかと言われている。 

 名前の「瑞祥(ずいしょう)」というのは、大川総裁がつけた、宗教家として仕事をするための、「法名」である。
 (ほかにも、幸福実現党の人びとで言うと、あえばさんの「直道(じきどう)」、小林さんの「早賢(そうけん)」、矢内さんの「筆勝(ひっしょう)」、なども、大川総裁命名の法名)
 1990年代前半以降、法名をつけられたお弟子方がではじめた。「修学(しゅうがく)」「大亀(だいき)」「天舟(てんしゅう)」など、多彩で豊かなイメージの言葉が多い。
 それぞれの本質をあらわすもの、あるいは「あなたはこれを心がけなさい」という総裁の「個人指導」的な意味があるようにも思われる。
 職員をやめると、「法名」もお返しする。
 たとえば、今回の候補者の坂下くにふみ氏は、職員の時の法名を「三邦(さんぽう)」といったが、いまは くにふみ氏に戻っている。
 (本名のくにふみの「邦」を一字取り、さらに、「三宝帰依」の「三」とあわせて、いい法名だよね、と言い合ったものだ。)
 それにしても、本地川さんの法名はかなり珍しい。
 「瑞祥(ずいしょう)」というのは、そのまま、「吉兆」の意味のはずである。魂的に神道系なのだろうか。

 小生たちが、彼に関する記憶をふりかえってみると、会員さんたちがこの人を間近で見たのは、1991年頃、総合本部にいたころ、苦労していた姿である。
 当時の総合本部には、切れ者が売りの人たちも多くいたようであったから、あまり目立たず、もしかすると、一部には凡庸に近い印象を回りに与えていたかもしれない。

 そののち、総合本部を離れ、あちこちの地方に本部長などで出された。
 そのときの印象は、「すさまじい握手魔」であった。逃げ回っていてもつかまってしまい、「いやー、みなさん驚くんですよねえ」といいつつ、にこやかに握手される。
 内向的でひきこもり気味の職員が多かったので、これはかなりインパクトがあった。
 今では職員でもナチュラルに握手する人が多くなったが、本地川さんが発祥ではないかという気がする。
 その後、宇都宮の未来館の館長などをしたりして、淡々とおだやかに職員職をこなしていた。

 だが、数年前、総裁が最前線に復帰してこられて以降だと思うが、出版の社長、理事長、党首へとぽんぽん出世した。
 果たして、「誠実な人柄が仕事をする」というケースを、地でいくように、様々な場面でよい仕事をしている。

 地味で下積みが長い経歴は、逆に、飾らずに生きてきたということの証明かとも思う。
 そんな本地川さんがトップに立てば、内外の人びとに、幸福実現党には本当に裏がない、ことがわかってもらえるのではあるまいか。
 飾らずとも、誠意が仕事をする。
 そんな好例を、この先まだまだ見せていただける気がする新党首なのである。

 ……次回に続く。

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