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2012-05

今、読まねばならない「日本武尊の国防原論」(5)

 『共産党委員会書記 薄煕来(はく・きらい)氏の失脚』
 このニュースを聞いたとき、霊言の読者は「やはり日本武尊の言ったことが、中国では進行しているのだ」と思ったに違いない。霊言に曰く、
 「政治指導部において、体制内の争いが続いており、そう簡単に一枚板にはなれない」(P38)
日本武尊は、2月の時点で、この「内ゲバ」の露出をはっきりと断言していたのだ。
 さらに同書では、中国が、「かたちだけは民主主義に見せようとしているが、じつは軍部を掌握した者が勝ちであるという独裁国家体質」(p39)であると語られている。
 この事実は、中国ウォッチャーにはすでに有名といえるだろう。
 薄氏の一件は、この中国の体制の弱さ、習近平氏と胡錦濤氏の権力争いが激しく行われていることを、世界中に示したのだ。
 次の中国のトップである習近平氏は、それらの権力闘争にすでに勝ちを収めているかのように見えていた。だが、まだまだ根深い権力闘争を繰り広げている、ということが露呈したのだ。
 この事件、あるいは薄氏についてはすでにご承知の方も多いだろうと思うが、簡単におさらいしておく。
 習近平の側近である薄煕来氏は、民衆を味方につけ、民衆の人気、ポピュラリズムをもってのし上がろうとした人物だ。
 薄氏の躍進を見ていると、中国は「一党独裁」と言いつつ、地方に行けば、一族郎党の縁故で、政治を動かしているということがよくわかる。そこをついて、なりふりかまわぬ手段で地方の権力者となっていった薄氏の手腕は、日本人からも「魅力的だ」という声が聴かれるほどだった。
 だが、「個人で民衆の支持を受けた政治家」や、「スタンドプレーが得意な政治家」などというものは、中国共産党にとっては「あってはならない」。
 案の定、対立する胡錦濤派によって、薄氏は失脚させられた。
 だが、この失脚は、単に彼一人の問題ではなく、いまだに政治指導部内の争いとして、さまざまな余波が巻き起こっているようだ。
  今回の件で、胡錦濤派は中国共産党の最高指導部に「こういうことがあってはならないから、鄧小平亡き後、以来、続く集団指導体制を守り、根回しをする政治を行おう」と強く働きかけているのではないかという説もある。(『中共指導部の政策決定パターン、メンバーの利益がカギ』=ウィキリークスhttp://kinbricksnow.com/archives/51510351.html)
 いっぽう、習近平派も、渦中の薄氏を、なんと日本のメディアのインタビューに出させる(!)などして、健在ぶりをアピール。薄氏の失脚で遅れをとった習氏が、ふたたび巻き返したのではないか、という説もある。
【中国“失脚大物”薄煕来氏を独占インタビュー!初めて明かされる真実】http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20120511/frn1205111124000-n1.htm
 結局、中国という国は、一党独裁と言いながら、そのじつ一枚板では全くない。
 政治的な不安要素を火薬庫のように積み込んだ国であるのだ。

 さらに、ここでもう一つ。
 薄氏の失脚を見つめる、中国の民衆も昔のそれではなくなっている。
 この薄氏の失脚で、明らかに、共産党への不平不満がより濃く人々の間にたれこめた。
 産経の記事はこちら【「薄煕来氏解任」の余波】
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120329/chn12032908190000-n1.htm
 中国の人々は、苛烈な抑圧を受けながら、それでも自由を求めはじめている。
 豊かになり、発展してきた中国の個々人が、より大きな自由を持ちたいと願うのは当然のことだろう。挫折したとはいえ、実際に人々は薄氏の成功を見てしまった。薄氏の成功は、まぶしく見えたことだろう。
 今回、薄氏は習近平氏の側近であったが、今後、第二第三の薄氏が、習近平氏も予期しないところから出てくることも考えられる。
 共産党はそれを押さえ込もうと戦々恐々とするだろう。
 あるいは、彼らは、昔ながらの理論で『「自由」は「堕落」に繋がる』と、必死に喧伝しようとするかもしれない。
 だが、「自由」を甘く見てはいけない。
 健やかな「自由」とは、じつは、「神の又(また)の名」なのだ。
 これまで、中国共産党は、人々から神を奪い、その地位に自らをはめ込むことで、独裁を保とうとしてきた。
 だが、「自由」という言葉までは奪いきれなかった。
 なんとなれば、彼らが軍資金を集めるためには、経済を豊かにしなければならない。経済を豊かにする智慧は、ギリシャで言う「ヘルメスの神」の領分である。
 そして、人類の繁栄の神、ヘルメスは、「自由」をこよなく愛する神なのだ。だから、人類の繁栄のそばには、常に「健やかな自由」が存在する。その社会が心から繁栄を求めるならば、「自由」を殺しきることはできないのだ。
 「自由」に惹かれる心は、人間の本質、仏性に近いところの強烈な欲求でもある。
 それを刈り込もう、というのは、実は、共産党は、人々の仏性そのものと戦おうとしているのに他ならない。
 大川総裁は、「習近平氏の就任前までに、中国包囲網を完成させ、彼が就任しても思うように動けなくさせる」と語って、精力的に世界行脚を行っている。
 これは、対外的に中国包囲網を作る、という意味あいのほかに、もう一つの意味がある、と思われる。
 海外で、はじめて総裁の講演を聴いた人々の七割が、その場で信仰者になってしまう。その秘密の一つは、総裁の行脚した土地、総裁の話を聞いた人々の間では、間違いなくこの「人々の中の自由という名の神」が息をふきかえすからなのだ。
 この教えが、さらに伝播することでどうなるか。
 おそらく、そう遠くない未来、中国十数億人の人々の魂の中にある「仏性」……十数億人の中の「神」が目覚め、より深く、より強く「自由」という名の神の子の当然の権利を求めて動き始めるだろう。
 中国共産党は、一人の教祖を滅ぼすことはできても、十数億人の「神」を弾圧しきることなどできはしない。
 総裁の行脚がじわじわと効いてくるにつれて、対外的な包囲網だけでなく、国内からも、全体主義への抵抗の声が激しく上がるようになり、習近平氏の世界皇帝への野望は、遠回りを強いられることになるだろう。

 日本は、わずかずつ時間を稼いでいる。
 そして、日本には、時間を与えたらさいご、それを最高度に活用して有利な布陣を完成することのできる国師の智慧が健在である。

 さらに、日本にとってラッキーなことに、そこに、今年のアメリカのお家事情がからんでくる。
 合衆国大統領選挙である。

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