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『タイの夜明け』を呼ぶために

 1ヶ月半にわたるタイの争乱に、ようやく変化の兆しが見えてきた。
 【タイのデモ隊、首都封鎖を解除へ 2014.3.1 01:15 】http://sankei.jp.msn.com/world/news/140301/asi14030101160000-n1.htm
 まだまだ予断を許さない状況だが、国民同士による流血の可能性がひとまず減ったことに、インラック首相は安堵しているのではなかろうか、と思う。
 この冬は、本当に胸の痛むニュースが続いたタイだった。
 つい数日前も、
【タイの首都で爆発、2人死亡・22人負傷 首相支持派は東北部で大規模集会 2014年 02月 24日 09:16】http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0LS0XW20140224
 というニュースが流れ、フィナンシャルタイムスには、
【タイが次のウクライナのように見える理由 2014.02.28(金) Financial Times 】http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40060
(元記事【Why Thailand is looking like Ukraine】http://www.ft.com/cms/s/0/de3cde60-9e4f-11e3-b429-00144feab7de.html)
 などとまで書かれている。ただし、この記事を書いたライターは、他の記事でもいささか視点がずれている気がするし、実際にタイに入ったレポーターの報道などをテレビで見ている日本人にとっては、「今のタイを、あのウクライナと一視同仁に扱うのはどうなのだろう」、という気もするのだが、それでも「長期にわたり、死者を出す反政府デモが起きている」という事実は、国の抱える苦しみ以外の何物でもない。
 
 さて、日本人の多くは、これらのタイのニュースを聞いても「ふうん、大変だね」と、対岸の火事のような印象を持つのみだろう。
 だが、タイ、そしてフィリピンの二国は、中国の脅威から国をまもろうとする日本にとって、軍事的にも、経済的にも、重要なのだ。
 どういうことか。
 軍事的な重要さ、というのは、地図を広げればすぐにわかる。
 中国はいま、南下政策を繰り広げていて、このままいくと日本のシーレーンは間違いなく絶たれ、石油・天然ガス等のエネルギー資源のほとんどが入ってこなくなってしまい、日本は窮地に立たされる。しかし、タイとフィリピンが健在であれば、中国の南下政策を食い止める大切なポイントとなる。この国が中国になびかない限り、中国の南下政策は成就することはない。逆に言えば、この二国を割り込まれると、あっという間に日本のシーレーンは中国に押さえられてしまう。
 経済面ではどうか。
 これまで日本は中国に進出し、中国に「日本の工場地帯」を築いてきたが、チャイナ・リスクが明白になったいま、早々に、その大部分を移転させなければならない。その移転先こそ、東南アジアの諸国であり、その中でもタイと、フィリピンの2国は主要な移転先になる。タイには一日も早く政治的に安定して、日本企業を次々と受け入れてもらわなければならない。

 幸福の科学・大川総裁も、タイに関してはことのほか心を砕いている印象を受ける。
 今年に入ってから総裁は、タイの未来に関して、短期間に3冊もの書籍を出した。
 「日本外交の盲点 外交評論家岡崎久彦守護霊メッセージ」
 「タイ・インラック首相から日本へのメッセージ 守護霊インタビュー」
 「比較宗教学から観た「幸福の科学」学・入門 性のタブーと結婚・出家制度」
 の3冊。
 ……これらを手がかりにニュースを見てくと、タイという国は、今、日本の明治維新にも等しい大きな転換点を迎えているのではないかということが見えてくる。
 大川総裁は、この国に対して、上掲した3冊のどの書籍においてもメッセージを送り続け、経済と文化両面において、タイに未来への変革を促しているのだ。
 だが、タイという国を知れば知るほど、その変革は難しく、このたびのタイの政争、騒乱の収拾は大変なことだということもわかってくる。
 タイは、とても「頑固」な国柄であり、未来志向をもって国が変わらなければいけないこの時期に、その頑固さが災いしてうまく変わることができないでいるのだ。大川総裁がタイへの巡錫を計画しても、未だその地に足を踏み入れることができないでいるほどだ。
 その頑固さの源、大きな足枷の一つは、「小乗仏教」にある。
 上掲の書籍、 「比較宗教学から観た「幸福の科学」学・入門」を読むと、その恐るべき頑迷さが浮かび上がってくる。
 過去の仏の戒律のみを、形式のみを、ひたすら頑固に守り続ける……それが果たして仏の御心なのか。このあり方に対する、仏陀の解答を、読者は読みとることができる。
 同時に、読者は、タイに寄せる仏の思いを感じて胸が熱くなるだろう。
 その思いとは、二千数百年のむかしに、インドで厳格な小乗仏教の教えを説いた仏陀自身が、自らが過去に残された戒律を、二千数百年ものあいだ、いじらしくも頑なに保ち続けたタイという国を慈しまれ、しかし同時に、そこから生まれた禍根によって、国全体の発展が阻害され、苦しむ姿に深く悲しまれて、その国を救わんがため、「再誕の仏陀」としてその思想の修正を行おうとしている強い意志である。
 同時に、この3冊には、タイの人々だけではなく、日本人への強いメッセージも込められている。
 その行間には、「日本人よ、あなたがたは、もはや世界の不幸に無関心であってはならない。アジアの人々を助けようではないか。タイを、助けようではないか」という静かな声が満ちているのだ。
 日本はすでに、世界の平和と安定のため、また、世界の、特にアジアの繁栄のためにも、責任ある立場に立ちつつあると言ってよい。
 ……かつて、明治維新の頃の日本という国を、司馬遼太郎氏は「坂の上の雲」にて、「少年の国」と称した。
 身分制が消え、開化の息吹に胸膨らませ、「痛々しいまでの高揚」を胸に抱いた少年のごとき国である、と。
 やがて、その少年の国・日本は、絹と米しか特産がなかったその開化の時期から、わずか百数十年の時をへて、見事な経済大国へと育った。もはや誰も今の日本を「少年」とは呼ぶまい。
 その日本には、すでに別の役割が与えられているのだ。
 ……今なお、地球上には、「少年の国」が存在している。
 明治維新のように、身分制が崩壊し、混乱と共に希望が生まれ、未来への改革を迫られている国々がある。
 それは今のタイであり、遠くイスラム圏まで広がる、アジアの国々である。
 そのアジアの「少年の国々」は、変革の苦しみに身もだえしてはいるが、そんな彼らにとっての希望、すなわち、「坂の上に光る雲」の一つは、現代の日本の繁栄そのものではないかと思う。
 アジアの国々には、日本がどれだけ輝いて見えていることだろう。あんな風に、自国も繁栄させられたら、あんな風に、自分たちの両親や子ども達、兄弟姉妹達に、清潔で、飢えることがない、治安の良い、豊かな暮らしをさせられたら、どんなに幸福なことだろう、と。
 その「少年の国」たちの手を取り、手助けができる国こそ、他でもない、開化を成就し、白人の支配を退け、敗れてもなお大国として復活した日本以外にはないのである。
 日本人は、もっと自信と責任を感じていい。否、感じなければならない。
 安倍首相の外交政策、国防政策に関して、いまだに左翼のメディアはことあるごとに批判をくりかえしているが、その批判は完全に的を外しているといえるだろう。
 日本はすでに、敗戦の焼け跡に震え、罪悪感に頭を垂れて、忍耐と勤勉のうちに自国を立て直すだけの国ではなくなった。
 日本の舵取りには、自国のみならず、アジアの繁栄がかかっている。
 仏の示す、次なる文明の中心地は、まぎれもなくアジアである。
 「文明の桜前線」は、アジアにて咲き誇ろうとしている。
 だが、そのアジアには、他国の平和を脅かす、強大な脅威が存在している。
 ここで日本が骨を折らなければ、アジアの国々は開花期を迎えることなく、やっとの思いで寒さに耐えて開き始めたその花のつぼみを、巨大な軍事大国によってたやすく握りつぶされ、散らされてしまうだろう。
 第二次世界大戦において、日本の英霊と神々が、その身を賭して解放したアジアの国々・朋友たちを、新たな軍事大国に支配させてはならない。
 アジアがともに手を取り合って正しい繁栄へと進むためにも、日本はバッシングにひるまず、毅然として立たねばならない。

 そして、是非、タイにはこの難局を乗り切って、見事な開化を成就し、あるいは開花を遂げて欲しい……それが仏の意志ではないかと思うのだ。

 それにしても、仏がかくまで心を砕く国・タイとは一体どういう国なのか。
 いったい、何が今回のデモの原因なのか。
 タイと国交を深めたいと思うならば、まず日本人は、それを正確につかむことからはじめなければならない。
 遠い昔の仏陀の戒律をひたすらに守ることをもってよしとしてきた国の現在……次回の更新で、そのあたりを少し整理して書けたらと思います。

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