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2014-01

「特定秘密保護法案」という「日本の希望の芽」を護った、故・天才法学者の一閃

 年末の「靖国参拝」。
 その一報を聞いたときに、反射的に思ったことの一つは、
 「松陰先生の叱責は、安倍首相に届いていたのか」(書籍「吉田松陰は安倍政権をどう見ているか」)ということだった。
 安倍政権は、今までのどの政権よりも大川総裁に親和性が強いように見える政権であり、霊的に見たら得点はかなり高いであろうにもかかわらず、幸福の科学に降りる諸霊は、安倍政権に対しては、発足以来かなり厳しい指導を行っているように感じる。
 わりと新参の会員さんからは、その都度「安倍さんは、やっぱりだめな人なのではないか」という声を聞くが、総裁のやり方をよく知っている古い会員さんたちからは、「いや、逆だ。脈があるんだよ。言えばわかる人だから、人より厳しく叱るんだ」という意見も聞いていた。
 果たして、見事に靖国参拝は成就した。
 外交的にも、今までの総理から見たら胸のすくような強気な(といっても、普通の国なら当たり前のレベルの)発言が多い。
 なにがこの裏打ちとなっているのだろうか。
 その一つの要因は、「特定秘密保護法」の成立と、その陰にある一つの「希望」ではないかという気がする。
 特定秘密保護法案。
 これが通されようとしていた当初、マスコミは発狂したような叩きぶりだった。「軍靴の足音が」だの「個人の自由が」だの、戦後の左翼思想のバーゲンセールといった感があった。あらゆる理論、あらゆる感情操作を総動員したような勢いで、たとえば、とある日曜日の朝のニュースバラエティなど、わざわざ白黒のコントラストの強い映像効果を使って安倍首相が歩いてくる姿を写し、「彼こそアドルフ・ヒトラーの再来である!」とでも言いたいような姿を国民に印象づけようと躍起だった。
 だが、不思議なことに、あれだけ叩き狂ったマスコミが、日本人が最も嫌がり、あるいは逆上しそうなポイントをスルーして報じなかった。
 それは左翼を激昂させると同時に、日本のためにどうしてもやらなければならない強力な事案……すなわち、核兵器の導入である。
 核の導入こそ、「これで日本を中国から護れる」という大きな希望の芽となる。
 マスコミは語らなかったが、「特定秘密保護法案の成立日」というのは、実は「日本の核武装記念日」にほかならなかったのではないか。
 まさしく、日本の未来のために、外すことのできない大きな分岐点の一つが、良い方に切り替わった瞬間といえるだろう。
 それが、安倍首相の強気の源泉の一つではないかと思うのだ。

 幸福の科学の書籍から見ていくと、おそらく、一番最初にこの「特定秘密保護法案」を「日本の核武装」と結びつけ、しかもそれを悪事と捉えずに解説して下さった霊人は、なんと、韓国の故・パクチョンヒ大統領であった。(書籍「韓国 朴正煕元大統領の霊言」)
 この故・朴大統領の、優れた洞察や思想にほれぼれしているところに、さらなる強烈な一打が放たれた。
 それこそが、故・藤木英雄 元東大教授によるスピリチュアル・インタビューの発刊である。(『「特定秘密保護法」をどう考えるべきか―藤木英雄・元東大法学部教授の緊急スピリチュアルメッセージ―』)
 この一書による影響力・左翼への破壊力は、とんでもなくすさまじかった。
 以前、大川総裁は、「左翼マスコミの批判の源泉は、実はアカデミズムにある」、と、喝破したことがある。
 まさにその指摘通り、このたび、左翼マスコミは、法案に反対するために、そうそうたる学者・文化人・ノーベル賞受賞者をずらりとそろえ、しかも憲法学者・法学者など、百四十名をそろえて全員に「反対声明」を出させたのだ。アカデミズムによる鉄壁の布陣である。
 ふつうなら、これで世論を誘導し、この法案はつぶせるはずであった。
 ところが、そのヒステリーが、みるみるうちに拍子抜けするくらいに沈静化されてしまったのだ。
 時期的には、法案通過直後に、安倍首相がマスコミを呼んで食事会を開いたあたりであったように感じる。
 それはあたかも、山火事になるかと思われた炎の勢いが、丸木一本残して全部消されたような沈静ぶりに見えた。
 その理由は、全く語られていない。
 一般的には「安倍首相があのとき、マスコミに対してかなり上手いことやったのではないか、さすが二度目の手練れだ」という意見も聞いたのだが、それだけではあの大勢の学者たちの論拠をつぶすことはできないだろう。
 やはり、その「山火事の沈静」は、この一書以外に考えられない。会員さんたちは 
 『安倍首相のマスコミに対する「食事会」が、この批判をなだめたのだ、というなら、きっと安倍首相は、マスコミとの食事会のときに、この霊言のレジュメを、結婚式の引き出物よろしく、参加したマスコミ全員のお土産につけたんじゃないのかい』 と笑っていた。
 実際、これを読んだマスコミ、そして法学者たちは震撼し、文字通り声も出なくなったに違いない。
 日本にはびこる亡国の学問を、同じくアカデミズムの立場から根こそぎばっさり裁ち落とした、感動的なまでにパーフェクトな反撃が、そこにはあったのだ。
 結局、百数十名の法学者、ノーベル賞の受賞者をはじめとする学者たちは、たった一人の亡き天才法学者の語った1冊の霊言によって打ち倒されてしまった。凡百の迷える学者は、死してなお国を愛するただ一人の天才学者の魂魄の言葉に、全く叶わなかった。
 同時に、これは、物理的な力のある軍人や科学者とは全く異なる、「法学者」という、一般の人々の生活や、国防から一見、距離があるように見える文系の学問が、かくまで見事に国を護るのだ、という非常に強力な事例である。
 同書に曰く、『戦争の前段階である「外交戦」と「スパイ合戦」』という事実から考えると、こういった天才法学者を国が有しているということは、物理兵器にも匹敵する国の宝なのだ。
 それは同時に、法学というものに流れる仏神の叡智と愛、そしてその学問の大切さを染み入るようにわからせて下さる勇気の一書でもある。
 かくも痛快にして含蓄深い霊言の、その最後のあたりで、故・藤木教授もまた、この秘密保護法のメリットは、「核の持ち込み」が可能になることだ、と、触れておられるのだ。
 平和の番人のような法学者が、「核を入れなければならない」と語っている。
 そのことの意味を、日本人は思い直さなければならないだろう。

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