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中国が未だ日本に軍を進められぬ理由(3)

 日本は変わった。

【安倍首相「領土・領海守り抜く」 沖縄で自衛隊を激励】
http://news-social.com/news/1059916
 「国を守ってみせる」、と、政治家が言っても、今や明らかに、マスコミはそれをつぶせない状況になった。
 こんな時代が来ると、十年前にいったい誰が想像しただろうか。
 そもそも、この動きは、いつ、いったいどこから顕在化したのか。
 時の流れをさかのぼってみていくと、かえすがえすも、2009年の幸福実現党の結党こそが、歴史の転換点であったことがわかる。
 実現党の、この時期の結党は、見事なタイミングであったといわざるを得ない。
 それは「実現党にとって」ではなく、「日本にとって」である。(「実現党にとって」、というなら、彼らにとって残念なことに、その結党のタイミングがあまりに早すぎたといえるだろう)
 心の背骨を失ったヒルコのような日本に産声をあげた、この小さな政党未満の集団は、強烈な発信力で活動を展開していった。
 落ちても、落ちても、落ちても、落ちても、平然と立候補し、最もマスコミや政治家が言われたくないことを、街宣で喧伝していくその手法は、左翼勢力や既存勢力にとっては、あたかもおぞましい理解不能なゾンビの集団のように見えているかもしれない。
 いっぽう、大川総裁は、一見「霊言」という、あたかも週刊誌の見出しになるような、一般からは正当にとりあげてもらえないような手段を使い、一見ポピュリズム的に見えるやり方で本を出版していたが、その真意はポピュリズムとは正反対のところにあり、「日本を動かしている一握りの人々」に対して、ゆさぶりをかけることだった。
 「未だマスコミの目にさらされない、名前や顔も知られない人々が日本を動かし、ミスリードしている」というような内容を、総裁は二年ほど前に語られた。そして、その、我々が知らぬ「日本を動かしている」名前を次々と霊言でオープンにし、その心中の醜さを露呈させた。
 それがフィクションではない、ほんものであったことは、霊言が発刊されるや、それぞれの分野で次々に激震が走り、おもしろいように当事者が職を追われ、その分野に改革が進むことで証明されたことだろう。
 政府が、財務省の人々が、マスコミの人々が、そこに書かれた「霊言」に出てくる人物が「本物のその人」であり、そのなすがままにさせていたのでは、自分たちまでだめになる、と気がついたのだ。そうでなければ、ターゲットにされた人物が、次から次へと職を外される、などということがおきるばずがない。
 それはまことに信じられぬ眺めであった。
 かつて、司馬遼太郎氏が、とうてい世の中を動かす方法ではないとされた、「小説」という手段で、戦後の日本人を奮い立たせたように、大川総裁は、いまだ日本人が公式の場で認知しようとしない、「霊言」という手法を使って、日本の左翼勢力、マスコミと財務省、左翼学者や文化人たちの足腰が折っていったのだ。
 彼らは自らが否定し続けた「霊」「霊言」によって、その職を失い、それぞれの野望をばっさりと断たれてしまった。
 その結果、日本に何が起きたか。
 ほんの数年前まで、政治家が「国防」「国益」などといったら袋だたきにあったものが、いつの間にか、当たり前に議論されるようになった。
 総裁は、どんな右翼勢力もなしえなかった、日本人の国防意識の復活に道を開いたのだ。

 もうひとつ、総裁の仕上げた仕事で、絶大な力を発揮しているものがある。
 それは、早いうちに総裁が中国包囲網を完成させたことであった。
 まことに鮮やかな手並みであった。習氏より早く、必要な布石を打ち終えていたのだ。
 中国は日本を攻めあぐねつつも、力に任せた直接軍事衝突を、今の時点では、好もしく思っていない。
 だから、いったん矛先をアフリカに転じたかのように、ほかの包囲網を破ろうと動いている。
 だが、そう簡単に包囲網は敗れないのだ。

 そして、中国がその包囲網を破る方向に注力したならば。
 日本との直接の軍事衝突が少しでも遅らせることができる。
 時間が稼げる。
 これは、今の日本には大きいように思う。総裁の電撃作戦のような迅速な布石がここに来て効いている。

 安倍首相、就任してはや二ヶ月が過ぎようとしている。
 大川総裁は、安倍首相に対し「論敵との戦い、一部は引き受けよう」と、安倍首相のスピリチュアル・インタビューの前書きで明言した。
 しかし、残念ながら、安倍首相は、今回のアルジェリアでは、国内の支持率を優先し、国際的に見て、日本の世論もろとも、大変な恥を晒したように見えた。
 また、アベノミクス以外には、すっかり批判を恐れて民主党化してしまって、思い切った手が打てない状態だ。
 だがそれもおそらくは、安倍首相が、ただ一つの目標を最優先しているからではないか、という気がする。
 七月の参院選、なんとか自民党は勝たねばならない。
 勝った先には何があるか。
 安倍首相の真の目的である、
【「まず憲法96条を改正」 衆院本会議で首相、要件緩和目指す 】1.30 16:39
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130130/plc13013016470016-n1.htm
 があるのだ。
 日本国憲法第96条は、憲法改正を規定する唯一の条文であり、憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成が必要と規定してある。これが日本の憲法を変えることを非常に困難にしている。(同じ敗戦国のドイツは戦後既に53回憲法を改正しているというのに)
 ここを、二分の一の議員で改正できるようにする。
 その道を開けば、憲法九条を変えられる。日本は自分で自分を守る国となる。
 安倍首相は、おそらくここまでを、「命と引き換えにしても、なしとげてみせる」と思っているはずだ。
 「あとは倒れてもいい。自分の仕事はここまでかもしれない」と。
 七月まで、あと五ヶ月だ。このままの支持率でいけば、それが叶う。
 だが、その間、中国や北朝鮮が日本への手出しを待ってくれるか、あるいは海外のテロリストが待ってくれるか。
 はなはだ怪しい。
 「国民の命か、尖閣か」と言った厳しい選択が現れたとき、体調に不安の残る安倍首相は、どこまで耐えることができるだろうか。

 不安は大きい。漕ぎ出した海は、荒れに荒れている。
 けれど、今は、ただ念じたい。
 「がんばれ、がんばれ、安倍首相」
 「がんばれ、がんばれ、日本人」
 今年はおそらく、そう叫びたくなる局面が幾度も訪れることになるだろう。
 信じられない激しさで、たたきつけてくる荒れた大波の中を、ようやく航路を見いだして懸命にその道に乗ろうとしている、この日本が沈まぬように。小さな個人でも、できうる限りの協力がなせたらいいと思っている。

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