Home > Archives >

堅実な挑戦(1)

  2013年一月も半ばを過ぎて、そろそろ確定したものがある。
 個人の去年の収支決算である。
 資金を運用している人は、証券会社からの年間損益報告書も届いたことだろう。

 当ブログでは、ときどき、幸福実現党とはあまり関係ない、いろいろなジャンルの専門記事を載せたりする。
 そこで時節柄、「資産を増やす具体的な方法」について書かせていただく。
 その方法とは、「投資」である。
 「投資」の中でも、「個人の投資」について、「特に予知能力などの特殊な才能もなく、金融知識や相場知識もない、普通の人々が、投資で利益をだす」ための、具体的な修行方法の一つについて、記してみたい。
 もちろん、投資の修行にはいろいろなやり方があるだろうから、それぞれの方法でそれぞれの方が成功されればよいことである。
 ただ、「資産を増やす方法」というのは、一つでも多く知っておいて損はない、と思うし、「そうした方法について興味がある」とお考えの方はことのほか多いようだ。
 なので ご自身でも投資をされていて、全く違ったやり方をされる方は、「まあ、そんなやり方もあるんだろうかね、ふーん」ぐらいの気持ちで軽く読み流していただければと思う。

 さて、幸福の科学の大川総裁は、六年間の商社マン時代、明日の相場が上がるか下がるかを当てる名人であった、という。
 同僚が「まあ、上がるか下がるかわからんから、お前の言うとおりにしとくわ」と言って資金を入れてみると、その通りになる、ということがしょっちゅうあった、というエピソードが残っている。
 こういうことが素で出来る人というのは、よほど特殊な人であって、正直、ほかでこんな話は聞いたことがない。

 そもそも、「相場」とは一体何なのだろうか。
 これは全くの個人的感想なのであるが、相場というもの、それは一つの「集合想念」のようなものではなかろうか、と思う。
 ……相場というのは、突き詰めて言えば、じつは、「人の思いと行い」で動いている。
 どういった人々の思いと行いなのか。
 具体的には、銀なら銀、ガソリンならガソリン、ドルならドル、というジャンルで、売ってやろう、買ってやろうと集まった人たちの思いと行いのせめぎあいで動く、といえる。
 たとえば、その日、売ってやると思う人の想念と行動が、買ってやろうと思う人の想念と行動の総量よりも、強ければ、下がる。
 また、逆に、買いたいと思う人の想念と行動が売り方より多ければ、上がる。
 その株や、商品、通貨などに興味を持ち、「売り買いしよう」という人たちの集合想念の結果、その日の価格が決まっていく。
 投資を志す人々は、こうした想念の結果としてせめぎあう価格の上下の波に乗って、資産を増やしていかなくてはならないのだ。

 ここで、相場を始めようとする人が、よく、やろうとすることがある。
 それは、その「想念の動き」を予想して、山をはってみたり、あるいは、明快な理論をつくって、それにあてはめて相場の動きを測り、外的な要因を分析して、予測することである。
 だが、考えてみてほしい。相手は一つの「想念」である。
 明日の人々の「想念の動き」というものを、何年も何十年も、予測し続けることができる方法が、いったいどこにあるというのだろうか。
 いろいろな方法で予測しようと試みても、一時なら成功するが、長く当て続けるのは、きわめて困難ではないか。
 実際、このように、相場の値動きを予想して当てることに執着する多くの投資家のことを「当てもの」の投資家とか、「当て屋」と呼ぶ。
 これは、失敗する投資家の典型といわれている。
 いま成功していても、いつか必ず失敗する。
 明日の値動きを予測し続けることは、どんな優秀な頭脳を持つ人たちにも困難なことなのだ。
 たとえば、以前、ノーベル経済学賞をとった人達がチームを作って、当時、最新のコンピューターを駆使して投資に取り組んだか失敗し、その会社は倒産したという話を聞いたことがある。
 世界最高の頭脳が、理詰めでやってもうまくいかないものなのだ、と、あらためて感じさせられたものだった。

 また、そうした作業と判断を、いっそ機械に任せてしまえ、という発想も出てくる。
 最近、各証券会社で用意している、「自動売買プログラム」というものだ。
 さまざまなパターンの投資のルールによって自動的に売買するプログラムの中から、これは、と思うプログラムを選び、それに任せておくだけで、自動で売買してくれる、というものだ。
 非常によさそうな方法に見える。
 しかし、まず、そのプログラムというのは、ものすごく種類が多い。
 運用者は、その中から、「これは、現在の相場の局面にあっているのではないか」、と思われるプログラムを選び出し、運用を命じなければならない。
 ところが、うまく現状に合ったプログラムを選ぶことができ、運用を開始し、はじめは調子よくいっていても、いつの間にか益が出なくなる。
 一つのプログラムで、ずっと成功し続けるというのは、じつはできないものなのだ。
 そのため、運用者は、相場の状況を見ながら、局面が変わった、と思ったときに、次々と別なプログラムに変更していかねばならない。そのタイミングと、選ぶプログラムは、すべて運用者の選択にかかっている。
 そもそも、プログラムが多数あるということ自体が、相場の多様さ、難しさを物語っているように思う。

 投資をする人は、こうやって、あれこれと、一生懸命、書物を読み、勉強を重ね、経済新聞を読んでは勝負に挑む。
 しかし、勉強しても、研究しても、なかなかうまくいくことはない。
 いたずらに、資金ばかりが減っていく。
 やがて、負けつかれて、こんな風に思い始める。
 「この世……幸福の科学で言う、三次元では、複雑な要因から成り立つ、こまごました明日のできごとのことなどわからないのである。
 にもかかわらず、そのどちらかにお金をかけるなど、あたかも「丁半ばくち」に近いものではなかったか」。
 そうして、長年相場をやってみた結果、「こんなの、賭博みたいなものだ。まともな人間は手を出すべきものではない」と、そう結論を出す人が多い。
 これが、現代の「相場」、というものに、よくありがちな状況ではないかと思われる。そのため、堅実な性格の人、道徳的な人、あるいは、宗教の宗派によっては、投資という手段を嫌う。

 では、幸福の科学ではどうなのか。
 やはり、相場や投資は仏神の望む繁栄ではないと教えているのだろうか。
 じつは、幸福の科学では、全くそのようなことはないのである。
 幸福の科学の支部で受け付けている祈願には、商売の神であるヘルメス神へ祈る「投資成功祈願」というのがある。
 いったいどんなマインドで、投資をすることを推奨しているのだろうか。

 祈願を受け、この経文を聞いてみると、面白いことに気づく。
 この経文の内容には、一か所「えっ」と声をあげたくなるような、意外な単語が使われているのだ。

 この経文に限らず、大川総裁の書かれた、幸福の科学の支部や精舎限定で読まれる祈願文というのは、単に願望を述べるものではない。
 祈願者に対して諭すような、あるいは、肝に銘じておかねばならないような、心得的な内容が盛り込まれているように感じる。
 この祈願でもそれは同様だ。
 この、投資に関する経文には、投資というものは「リスクがあり」、 「賭け」のように見える ということが、説かれている。
 しかし、そのあとで。
 大川総裁は、投資のことを、こういう言葉で、表現しているのだ。
 ……「堅実な挑戦」 と。

 これを初めて聞いたときには、たいへん意外な印象を受けた。
 「投資」と「堅実」。
 結びつかぬかのように見える言葉だ。
 しつこいほど繰り返すが、相場の値動きは、明日上がるか下がるかなど誰にもわかりはしない。
 ……自分はあの会社に詳しい。
 ……自分はあの商品に詳しい。
 ……自分はこの国に詳しい。
 たとえ、そういう人がやっても、失敗する。
 世の中はどう転ぶかわからない。
 たとえば、とある会社が非常にいい商品を扱っていても、それが売れて、株価が上がるか下がるかなどということは話が全く別なのだ。

 相場の世界がどれほど厳しいか、それらはこんな数字を用いて表される。
 「相場の世界では、数年、トータルで一円でも黒字な投資家は1割もいない」
 「株の売買では、はなから確率的に95%が負け、残り5%が勝ち、そのなかで大勝は1%前後」等々。
 「全財産を失って去っていくのものもいる」と聞く。
 手元にあるプロの相場師の書いた本から、この勝率をもっと詳しく引用する。
 「(株の)上級者、中級者、下級者(その下部に最低層がある)の割合は、全部を一〇〇〇とすると上級者一〇、中級者九〇、下級者九〇〇のようになっているはずである。
 つまり、上級者と中級者を合わせて、全体の一割しかいないのだ。
 ものによっては一割以下のものもあると思われる。入りやすいものほど参入者が多いから下辺が拡大するからだ。」(『自立のために プロが教える株式投資 板垣 浩著』より)
 つまり、ほとんどの人が失敗するという結果が出ているのだ。
 いやはや、まったく。
 そんなものに資金をつぎこむなら、コンビニでバイトをしていたほうがましだ。
 こと相場に関して、「堅実な挑戦」な投資など、あるのだろうか、と思うに違いない。

 ところが、である。
 幸福の科学の会員さんの中には、とある方法で、淡々と利益を出し続けている人たちがいる。
 その中の一人は、かれこれ五年以上、利益を出し続けている。
 その手法はひどくシンプルだ。
 別段秘密の方法でもなんでもない。すでに投資の一流派として昔から確立されている方法である。「知る人ぞ知る」とでもいうべきか。
 だが、相場をやる人たちの口から、その方法があまり語られることはない。
 なぜなら、そのやり方は、ひどく地味なのだ。
 その手法の修行のスタートには、自分の非凡さの自覚を出発点にするところがあるように思う。
 そこから、地道な努力で淡々と実力を養成することを心がける、孤独な道のりが続く。
 そして、極端な欲を離れようとすることで、それぞれの身の丈に合った成功を手にしていくのだ。
 勝負師たちからみれば、このやり方は、地道な努力に対して、あまりにも利益が薄いように思われているのだろう。この方法を好まず、むしろばかにしているような節がある。
 しかし、そうした勝負師たちは、上記したように十人に一人も残らないいっぽうで、その方法にしたがって着実な利益を上げている人たちが、現実に存在するのだ。

 大川総裁が、「投資成功祈願」の経文の中で、投資の何をもって「堅実な挑戦」と言われているのかは、わからない。
 しかし、この手法にのっとった人たちの、修行と投資のスタイルは、見ていて、じつに「堅実な挑戦」という印象を受ける。
 そこで、今回の更新では、その方法をご紹介していこうと思う。
 手法の概要と同時に、参考になるサイトや書籍の名前を出すので、興味を持たれた方は各自ご研究願いたい。
 また、当ブログを読んでくださる方の中には、この手法をよくご存知の方もおられることだろう。
 その方々にとっては当たり前のことばかりであり、むしろ、説明に足りない点やいたらぬ点も多々あろうと思うが、あくまで「手法の紹介」ということであるので、なにとぞお許しを願いたい。

 では、次回より本格的なご紹介をはじめさせていただく。今回を入れて、全五回の予定である。

  • Comments (Close): 0
  • Trackbacks (Close): 0

Home > Archives >

Search
Feeds
Meta

Return to page top