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センター試験の健闘を祈ります/日本のマスコミが変わる予兆

  いよいよ、大学入試のセンター試験が開催される。(管理人の世代では共通一次といいました)
 幸福の科学学園の受験生の方々は、相当な緊張と重圧を感じておられるのではないかと思う。
 今年は、学園のはじめての卒業生が受験に臨む年である。おそらくは、学園の名を高からしむるべく、三年生は正月返上で受験勉強をしていたことだろう。
 使命感が大きいほど、重圧を厳しく感じることがあるかもしれない。
 でも、大丈夫だよ、と申し上げたい。
 あなた方は、もうここまででも十分よくやってくれているよ、と。
 年頭の総裁の講義で、真っ先に話に上がったのは、学園生の活躍だった。たった三年で県下最高の偏差値にまで駆け上がり、英語教育の受賞を受け、部活動でも数々の受賞をしてくれた。彼らの活躍が、大人たちにとっては一番いいニュースなのだ。
 いや、課外活動以前に、校内を巡ったことのある人たちは、その雰囲気で幸福感に包まれる。
 学園に行けば、そこでは、みな生徒さんが健やかに学んで、育ってくれている。そのことだけで、もう十分、布施した大人たちは幸福になれるのだ。すでに学園生は、もう十分立派にミッションを果たしてくれている。
 学園の外の子供たちに対しても、センター試験を受けるぐらいまで無事に大きくなってくれたこと、それだけでもありがたいと、親御さんや関係者は思っているはずである。
 子供たちが元気に前向きに生きていてくれることは、それだけで大人たちに勇気をくれるのだ。
 だから、信者のみならず、学園三年生と、信者子弟の方々の受験討ち入りに際しては、
 「だいじょうぶだから。神さまはあなた方に、一番良い進路を用意しているから。楽しんで試験を受けていらっしゃい」
 と申し上げたい。
 この試験には、日本のあちこちで、顔も知らない大人たちが、あなたがたのために真剣に祈っている。
 どのような形であれ、その若い方々のために、一番いい結果が出ますように。実力が出し切れますように。
 
 (……ちなみに管理人の時は、七科目中二科目の点数が壊滅的になる、という惨事をおこしながら、奇跡的に勝ちを拾うことができました。
 「二教科ぐらい失敗しても、こういう救われ方もあるんだな」、ということを、景気づけに書いておきます。
 管理人が悲惨な思いをした教科は日本史と物理です。
 まず、当時、高校の理科の先生の「物理はやりようによっちゃ満点が狙えるぞぉ」というセリフを真に受けて選択したものの、直前まで勉強しても全くものにならなかった物理。
 こいつが、試験本番でも全く点が取れない。
 今から考えたら、いい指導者につけば「お前には向いてないぞ、教科を変えろ」とかなんとか、あっさり処方箋を出してくれたんでしょうが、塾になんて行きませんでしたから、そのまんま何のテクニックも戦略もなく、学校の授業の予習復習と適当に買った問題集だけでセンター試験を受験してました。
 その結果の無様な点数です。
 あげく苦手な日本史では、「該当しないものを選べ」という問題文を「該当するものを選べ」と、読み間違え。
 ふつう正解がいくつもあったら気づきそうなもんですが、とにかく歴史は苦手で(地理はもっと苦手なのでやむなく選択)、あげく緊張していたので、全くカケラも気づかなかった。
 最後の問題を説いているときに、「これはおかしい、絶対に正解が二つ以上ある」とついに気づいて、問題文を見直して顔面蒼白。直す時間はありません。
 「ああっ、二科目落とした、こりゃもう完全にアウトだ、家族に顔向けできんどうしよう」、と頭を抱えましたが、国語と倫社だけ、なぜかその日に限って、日本史と物理の大ダメージを補うことのできるだけのハイスコアが出ていたのです。
 特に「倫社」という科目は、宗教家や思想家列伝で、のちに出あう幸福の科学の「黄金の法」みたいな内容でした。
 その教科で、満点近い、嘘のようなスコアが出たために助かったわけで、文字通り諸聖賢のおかげでその後の人生が開けた感があります。
 「ひょっとすると、家族や先生だけではなく、自分が顔も知らないどこかの誰かがしてくれたお祈りが効いたのかもしれない」。
 いまでも一月のこの時期に、あの日を思い出す雪道を、びちゃびちゃ歩くと思い出します)

 さて。以下は前回の続きについて。
 前回、今年は、マスコミが崩壊、あるいは変革を余儀なくされるはじまりの年ではないか、という感想を書いた。
 その根拠となるいくつかの記事をあげてみたい。

 日本を長らく支配してきた、大新聞とテレビ局。
 マスコミが、日本をミスリードし、たえず人々を左翼へ左翼へと扇動した。日本の経済の発展を二十年とめたあげく、あやうく隣国の軍事全体主義政権に日本を乗っ取らせるところへ日本を追い込んだ。
 ネットという無料の情報システムが出現して、彼らの言っていることのインチキが次々と暴かれ、テレビよりネットに親和性のある人々にとっては、マスコミが国をだめにしている、というのは常識に近くなってきているだろうと思う。
 そのマスコミが、いよいよ転機を迎える気がする。
 戦後のマスコミの左翼の流れが安倍政権下で終わる、もとい変わるかもしれない、という希望の芽があるのだ。

 先日、総裁は、書籍・『未来の法』講義で、毎日新聞の紙面広げ、書籍・『未来の法』について、「毎日新聞が全面広告を打ち、そのページだけが明るかった」という話をされた。
 改めて言われると、すごい変わりようだ。
 日本の二大左翼新聞は、朝日と毎日である。
 そのうちの一紙、「あの」毎日新聞が、松のうちも明けぬうちから、いきなりこの内容の本を一面広告させた。
 朝日新聞はかなり幸福の科学のシンパがいるのはわかるのだが、それに続いて、いよいよ、毎日新聞も、言論として、幸福の科学に一目置きはじめたように見える。
 ただ、この記事の扱いは、読売新聞では五段抜きにとどまった、という。
 読売のほうが幸福の科学に親和性があるだろうに、この差は何かと考えると、
 「実は、両新聞の経済状況を如実に反映しているのではないか」という説も聞いた。
 ……なるほど、毎日新聞は、某大教団の新聞の印刷に輪転機を貸し、それで食いつないでいるという話はかなり前から有名であったが、いよいよ、幸福の科学頼みをするような心境が高まってきたのかもしれない。
 さらに、「朝日新聞の若宮主筆引退ニュース」。
 上記した大川総裁の講義でも触れられたが、これこそまさしく「慶賀新年」である。
 幸福の科学からは、近々、あの保守の論客にして、渡部昇一教授と親しかった、故・谷沢栄一氏の霊言が出されるそうだが、その中で、朝日はかなり変わる可能性があるという話が出た。
 朝日の若手には、相当大川総裁のシンパがいるという話はよく聞く。
 この若宮主筆の引退は、明らかに世代交代のはじまりを示し、若手にチャンスを与えることになるだろう。
 彼らが若宮主筆の引退を機会に、朝日を新生させてくれる可能性は高いのではないかと思われる。頑張っていただきたいものだ。ネームバリューはそのままに、マスコミが内側から変わっていただければ、日本にとってこの上なくいい知らせとなる。

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