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この冬、スピルバーグを負かした日本のアニメとは(5)

 『映画 「けいおん!」』についてのレビュー、最終回です。

 スピルバーグの「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」と『映画 「けいおん!」』。
 なぜ、「けいおん」が勝ったのか。スピルバーグになくて「けいおん」にあるものはなんだったのか。
 二本の映画を見比べて、子供たちは絶対に『映画 「けいおん!」』が面白かったという。
 年明けに、また別の映画を見に映画館に行った。
 途中で子供が飽きて、上映ルームの外に出て、チケット売り場に行くと、まだ一日五回も『映画 「けいおん!」』が上映されていた。
 凄い人気だ。
 (子供には、「こっちのほうをもう一度見たかったー!」とゴネられた。)
 家族に感想を聞いてみたが、
 「スピルバーグの作る『大スペクタクル』は、料理で言うと『香辛料がきいてこってりして、手の込んだシェフの一流フルコース』。だけど、日本人はもう何十年もそういうハリウッド作品を見て、もう「食べ飽きた」という感じ。」
 だそうだ。
 少し昔、映画は、安価で、この世の日常で働き疲れた人々にとっての最高の娯楽だった。
 シートに座れば、壮大な音楽と美しい映像で別世界が開けた。人々はそこで、自分の日常とかけ離れた世界の冒険や恋を体感し、憂さを忘れることができた。
 だが、時代が変わった。
 今はビデオ屋もあればネットもある。わざわざ高額の映画に行く必要はない。そんな時間があれば自宅で寝ていたい。
 しかも、「若者の娯楽離れ」が昨今、ニュースになっている。
 パチンコはもちろん、ゲームセンター、アルコール、車などから、若い人が離れているという。マスコミがオーバーに言っている面もあるだろうし、日本が経済的に下りに向かっていて、お金がないのも原因だろうが、昔なら借金してでも好きなことに打ち込んで、お金をかけていたはずだ。
 明らかに、うちでのんびりしていたい、という方向に、嗜好が変わってきているのだ。
 そんな中で、『映画 「けいおん!」』に多くの人が集まった、その理由。
 評論家や感想ブログでは、口をそろえて、キーワードは「日常性」だ、と言う。
 曰く「若者たちは、自分たちと同じ、等身大の日常を暮らすキャラクターのほうを好んだのだ」と。
 だが、それは正確だろうか? 
 【NHKドラマ 「中学生日記」打ち切りか 】という記事が、2011/11/11の東京新聞に載っていた。
 「中学生日記」に関しては、説明は不要だろう。あのドラマが、打ち切りになるかもしれないという。
 決して中学生日記の脚本の質が落ちたわけではない。
 たとえば、今年度のプリキュアの脚本の一人は2010年まで中学生日記の脚本に参加していた人だった。ここ何年も、毎週日曜、子供にプリキュアを見せられているが、その人の脚本回は、例年のプリキュアに比べてもかなり面白い。
 「等身大の中学生の日常」という点では、「中学生日記」ほどリアルな日常を描く作品もないだろうに、そちらのほうは打ち切りになるかも知れないというのだ。
 そう考えると、単なる「日常」だけが人を呼ぶ要素ではなかったのではないかという気がする。
 「日常」の中にある「何か」の要素に、人が集まったのではないか。
 そう仮定して、その要素とは何か、と話し合ったときに、
 「それは『涅槃寂静』じゃないかな」と、伴侶が言った。
 目から鱗が落ちたような気分だった。
 ……なるほど。
 確かに、「けいおん」の世界は、まるで、天上界の穏やかな歳月の一コマを切り抜いたかのような印象がある。
 その世界からは、地獄的な要素がすべて注意深くとり除かれ、街並みも人も美しく善意で、彼女たちは学園の中で守られている。
 「涅槃寂静」という言葉が仏教的すぎるなら、「桃源郷」とでも言おうか。
 そこは、牧歌的で、農村の暮らしにも似て、平穏で、明るい。
 西欧型のユートピア、すなわち、「理想社会の実現に努力の汗を流す」スタイルではないが、老荘系の「桃源」の調和した世界に、それはかなり当てはまる。
 ここは一つの素朴な理想郷なのだ。
 そして、画面の中の彼女たちは、絶対に、見ている自分たちを傷つけることがない。
 映画を見た後も、ネットにつないで、ワイワイと感想を言い合って、「桃源」の延長は現実の世界でまだ続いていく。
 言われてみれば、こうした「日常桃源系」ともいうべきアニメは、ここ数年でかなりファンが増加し、本数も多くなっているように思われる。うちでもずいぶん、そうしたアニメを子供たちと見てきた。
 みんな疲れている。
 みんな、癒されたい。
 そんな世情を背景にして、若い人たちは、波瀾万丈のハリウッドの物語ではなく、穏やかな日常に似た、優しい「桃源」に参加するほうを好んだ。
 ……思えば、彼らは大変な時代に投げ込まれて生きている。
 現代の社会は複雑になり、ものすごいスピードで変化していっている。
 地球の人類の魂の大半は、牧歌的でのどかな農村や、その延長みたいな社会で転生を重ねてきているので、この世界はかなり厳しく辛いものだろう。
 本来なら、その苦しい世界に、癒しの感覚、涅槃の感覚を与える役割は、信仰や宗教が担ってきたものだ。
 だが、その道は、現代ではふさがれている。
 日本に生まれた彼らは、宗教的偏見のもとで育てられて、あからさまに宗教に救いを求めるのにはかなりの抵抗があるだろう。
 霊魂が死後続き、生まれる前の世界があるということを認めることすら、「そんなものは迷信だ」「ファンタジーだ」という教育を受けている。
 それでもまだ、どこかに覚えている。
 それでもまだ、その世界を恋しがる。
 ……そう考えると、妙に感動的な気がする。
  「そんな世界はあり得ないよ」と言われながら、萌え系アニメに漂う、穏やかで明るく、優しい桃源の感覚を愛し、求める人たちがこれだけ集まっているのだ。
 そこにこそ、「けいおん」がスピルバーグを負かした理由があった、と考えることができないだろうか。

 ……こういう見方を語ると、若い人には「いや、全然、関係ねーから」と言われそうだ。
 だが、明るく穏やかな桃源に憧れる人々が多くいる限り、まだ、この国には、隠れた善意が多く埋まっている気がする。
 そして、桃源を望む感覚が人のうちにある限り、この世をその世界へ近づける道は、まだまだいくらでもあるのではないかと……『映画 「けいおん!」』と、その集客について考えたとき、そんな希望を受け取る気がするのだ。

 (……五回にわたる、長い「けいおん」レビューにおつきあいくださりありがとうございました。
 アニメファンからつっこみがあるといけませんので書いておきますが、2011年の「アニメと宗教性」、ということに関しては、年末の文化庁メディア芸術祭賞で大賞を受賞した「魔法少女まどか☆マギカ」という作品が話題度・人気度・内容からみて一番だったと思います。
 あの作品は、小生も放映時に運良く見ることができ、宗教的にもいろいろと面白く、レビューしようと思っていたのですが、作品全体が、かなり暗くて重くて救いがわずかしかないSFで、どうしようか迷っていたところ、年末の「けいおん」の桃源郷の人気がそれを凌駕した感があって、そちらの感想を書かせていただきました。年末年始に天国的なアニメをご紹介できてよかったかなと思います。
 「魔法少女まどか☆マギカ」に関しては、三回に分けて映画化されるそうで、機会があったら書かせていただきたいと思いますので、その節はよろしくおつきあい下さい。)

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