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初夢にかえて~会員さんたちが推理する 「エル・カンターレとは、本当は誰か」

 2011年。
 年が明けた。
 年末年始の街を見ながら、ふと、去年の年初を思い返す。
 去年の正月には、民主党といい、中国関連といい、「まさかこんな展開になっているとは思わなかった」というすごい状況が、次々出てきた一年。
 幸福の科学においてもしかり。
 この一年、幸福の科学は、疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)の展開を迎えた。
 特に、昨年年初の霊言「宇宙の法入門」からはじまって、まあ、出てくるわ出てくるわ、宇宙人の霊言やリーディングが目白押し。
 さらに11月以降におきた内部での「変革」。
 その渦中において、またさまざまな霊人達が出てきては「証言」し、霊人たちそれぞれの驚愕の本音と、エル・カンターレという神の圧倒的な優位性が明らかになった。

 それらの出来事を見つめ続けたこの一年、小生と周囲の人たちが、考察してきたことがある。
 それは、
 「エル・カンターレとは、本当は誰か」
 ということについて、である。

 「大川隆法総裁」という宗教家の、一人の人間の肉体の姿の中に入られている神、エル・カンターレ。
 エル・カンターレとは本当はいかなる存在なのか、今年、小生の周囲の会員さんたちの間では、しばしば話題にあがっている。
 彼らの間で交わされているやりとりが、非常に興味深い推測なので、いつか書きたいと思っていたが、やや大胆な考察もある。

 だが、このたびは新春と言うことで、まあ新年会の無礼講みたいなノリで、一般の会員さんたちの大胆な推理を、ここに記すことをお許し頂きたい。

 なお、以下の考察は、先月(2010,12月)出された、「エル・カンターレ信仰とは何か」「アルファの法」拝聴前の考察であったことを、あらかじめ申し添えておく。

 さて、「エル・カンターレ」。
 幸福の科学の本尊にして、地球の至高神とされる神の名。
 「太陽の法」では、金星と、地球の霊系団を創り、かつ地球霊団の総責任者であるという記載がある。

 だが、その記述について、最初に、
「おや?」
と会員さんたちが思ったのは、1989年9月16日 「9月研修『知の原理を学ぶ』青年部大会講話」 静岡県・グランドホテル浜松でなされた総裁の短い青年部向けの法話
 「一千億年の孤独」。
 タイトルからして、詩人・谷川俊太郎氏の有名な作品、「二十億光年の孤独」を思わせる詩的な印象を受ける、
 内容は、詩的なばかりでなく、想像を絶する深みが示されている伝説的な法話だ。
  ――神の孤独。
  ――創造の前の孤独。
  ――栄光の前にある、孤独な時間。
 それらを語ったこの法話は、実に若い人たちに愛され、テープから販売されると、そこだけ聞き込んでノート起こしする若者が後を絶たなかった。
 この時、小生から見て大川総裁は、なにか、胸元の金魚鉢でも見下ろすようなかんじで話をされていた。
 その姿を見て、会員さんたちは思った。
 「なぜ、この方は『一千億年の孤独』を、かくもありありと語ることが出来るのだろう」
 と。
 「一千億年の孤独」とは、宇宙の創造前の孤独の物語であり、地球神の範疇を超えた悟りの内容であることがわかる。
 「太陽の法」にも、事細かに「宇宙の創造」と、その前の根本仏の孤独が書かれている。

 また、旧版の「永遠の仏陀 講義」(1991年12月8日東京都・中野オリンピックビル)においても、書籍化されていない質疑応答の中で、
 大川総裁「十五次元、十六次元……といって、四十次元、五十次元の悟り、これから外となるともうちょっと進化しないと、勘弁していただきたい。これ以上進化するともうあなたと話ができなくなるものですから(笑)」
 というような内容を語っておられた。
 
 ちなみに、この時の法話も小生にはなつかしく、印象深い。
 衛星中継などなかったころ、当日、この重要な経典の法話を聞き逃すまいと、会場は3階の本会場で700人定員を900人近く詰めてカーペットの上に着席。5階4階BI階ではモニターで中継していた。
 大川総裁は
 「こんにちは。 狭いところにびっしりと並んでいますね。」
 「5階、4階、地下1階の方、見てますか? 姿は見えませんけど、意識はしてますから、そう思って下さい」
 「講演会のようにきちっと椅子があるのではなくて、こうしてべたーっと下に座っていたほうが気分がでますね。(笑)」
 「私の方も、盛り土山をつくってその上に座ってやるともっと気分がでるのですけど。(笑)まあ、そこまでできませんから」
 などと言うほど、ぎっしりと人がすし詰めで座っての講義だったのだ。
 伴侶はそのとき、長時間、座っていた足が痺れて組み直したかったのだが、隙間もないほどのすし詰めとなった上、まったく身動き取れず、窮していたところを、となりの見ず知らずの方たちが手をかし、助けられたという美しい思い出を持っているそうである)

 さて、この質疑応答で語られた単語には、さすがに全員、あっけにとられることになる。
 四十次元? 五十次元?
 「……もしかすると、というか、やっぱり、というか。
  エル・カンターレ、という存在は、単に『地球神』ではないのではないか」
 これは、小生の周囲では、ごくごくプライベートな場で、ささやかれていることだったのである。

 この推測に裏付けを与えてくれるように読める記述が、法話には数多く出てくる。

 ……たとえば、
  「地球には数多くの魂が移住を求めてきている」
 という法話を、わりと初期にされたことがある。
 総裁曰く、
 「いま、人口増加で悲惨なことになっている地域、あれは大量の魂受け入れと関係があるのだ」、と。
 不思議なことだ。
 地球の位置づけは、と聞かれると、それほど中心にあるわけでもなく、初期には「香港」と称した霊人もいた。
 しかも、ようやく月にたどり着いては天下をとったような気になっている、その技術レベルは決して高くない。
 世界史はとみれば、この数千年は戦争ばかりやっているようにすら見える。
 ……この、辺境の小さな地球が、あたかも移住先として人気があるような話ではないか。

 はたして、2010年。
 宇宙人の霊言シリーズが始まるや、そこにあらわれたのは、さまざまな宇宙の霊人達の語る「地球の異常なまでの人気度」だった。
 「母星が滅びてしまった」、あるいは、「滅びてしまう」といって、地球への移住を志す星の民はもちろんのこと、
 「この地球の文化は、うちの星から見たら千年は遅れている」「私が教えてあげましょう」などという民がいれば、
 「武者修行に来ました」
 という星の民もいる。
 レプタリアンなど「エサ(←人間)が豊富」みたいな言い方をしつつも、単に捕食するだけではなく、「進化の神」を名乗って文明に入り込もうとしている。

 みな、なぜ、地球によってくるのだ?
 彼らの一部がいうとおり、地球は、宇宙人すら公認されていない、彼らから見れば全き「辺境の、未開の星」だ。
 なにか彼らの語らない、本当の理由があるのではないか。

 じつは、それもリーディングの中にヒントがある。
 地球に関する異星人たちの人気の秘密は、
 「地球にいけば、進化ができる」
 からであるらしい。

 しかも。
 証言を聞いていると、彼らの星の中には「次元構造」というものや、地球の「七色系団」のように、カラーの違う人々が共存しては互いに文化を発展させている、というようなこともあまりないらしい、ということがわかってくる。

 思えば、地球の次元構造、というのは、段階制と多様性を組み込んだ、智慧の結晶のようなシステムである。
 「さまざまな霊達が来たので、そのようにわかれました」とさらりと述べられているが、
 縦横に区分けが為されたこの霊界は、段階別に多様に進化した魂を入れうる器となる世界であり、その気になれば、自分の立場を客観視することもできようし、認識力の違う者同士が、一つの世界に存在できる、きわめて巧みなつくりである、といえる。
 ありとあらゆるタイプの宇宙人を入れて、同化しつつ共存・進化させるには、まことにもってこいのスタイルなのだ。
 さらに三次元についても、他の星の場合、こんなふうに氷点下から熱帯、荒れた山岳地帯から豊かな緑、大きな海まで、バラエティにとんだ生命が生きられる環境がない感じがする。
 地球は、三次元も、霊界も、まことに緻密な多様性と段階性がある。
 思えば、次元構造や、縦割りの系団は、じつは、さまざまな個性の霊が一同に集まって修行するには必要不可欠のシステムに思えてくる。

 一種類の宇宙人しかいないような発言や、「うちの霊界には地獄なんとありません」とうそぶく宇宙人すらいるというのに、この精緻さはただ事ではないように思われる。

 ついに小生と小生の伴侶、周囲の仲間たちからは、こんな声が聞かれるようになった。
 「……じつは、他の星の責任者は、自分の星をそこまで創り込めないのではないか。
 ……ここまで創造性を発揮して創り込める大霊、というのは、おそらく、別格なのではなかろうか。
 ……いや、そもそも、そんなふうに多様な星の人々を一つの星に入れてなじませようとする発想自体、よその星の創造主にはないものではないか」

 それだけではない。
 奇妙なことはまだまだある。
 宇宙人のリーディングで、「あなたがたの霊系団のトップは誰か」、ときくと、はっきり答えられず、言葉を濁したり、わからない、という霊たちがいる。
 (蟹座の霊人の「ミスターエックス」発言など面白い。リーディングに来た霊は、「私たちのトップはエル・カンターレより上。……だが、エル・カンターレの親族かもしれない」、と、曖昧に答えている。)
 ……自らの創り主の名前を知らない? 
 こんな、遠い辺境の星まで、宇宙船を作ってやってくるほどの人々が?
 プレアデスなどは、あれほどの高次な星でありながら、わざわざ地球に来てエル・カンターレの今世の人生の全てを記録に遺している、という。
 よその星のトップの法を聞くために、続々と宇宙から人が来て見守っている感がある。
 これも奇異といえば奇異な現象だ。

 そして、きわめつけの不思議は、「レプタリアンへの寛容さ」である。
 なぜ、地球は、かくもレプタリアンに寛容なのだろうか。
 霊言をつきあわせると、レプタリアンは明らかに、宇宙の鼻つまみ者であるように感じられる。
 彼らは、力は強いし、悪知恵は働くし、限りなくアグレッシブだが、人を見れば叩きのめして食べることしか考えていない。
 征服、進化、向上、そして食欲。
 地球でも悪さの限りをつくしているように見える。
 なんでこんな魂たちを地球に入れているのか。
 なんでこんな魂たちに、自らの団体の幹部職員の重責をもすら、させているのか。
 一つの明白な答えとして出されているのは、
 「レプタリアンがいないと、進化が止まるから」
 であるという。
 ……なるほど、確かに、プレアデス、ベガ、いずれも、理想的な霊人達に思われる。
 しかし、遥かに進化した人々が住んでいながら、それらの星では、進化が頭打ちになってきている印象をも受ける。
 そこで、レプタリアンを「同居」させてみると、文明は進化していく、ということのようなのである。
 ……だが、こんな発想、普通の霊人にはできないのではないか。
 宇宙に凶悪な種族がいると聞けば、一つの星のトップとして降すべき決断は、
 通常はレプタリアンから逃げるか、戦うかぐらいの選択肢であり、
 「レプタリアンの存在意義が『進化』であるのだから、彼らを自文明に同化させて、全体的に発展をさせよう」、などと試みる大霊は、見渡す限りおられないように感じられる。

 じっさい、「レプタリアンの地球同化」政策は、考えれば考えるほど面白い政策だ。
 これは、単に地球のみならず、
 「宇宙を、調和を保ちながら発展させるための鍵になる」
 コロンブスの卵のような政策にも感じられてくる。
 同時に、レプタリアンを同化させるだけの自信がなければ、どこの星のトップも、絶対に実行に移すことはないだろう政策だ。
 つまり、エル・カンターレは「レプタリアンを同化させる自信がある」のである。

 では、そこまでレプタリアンの本質を喝破し、力量を計ることができる、このエル・カンターレという大霊は、一体何者なのだろうか。
 一つの星だけではなく、宇宙の進化と調和のために動いている、この大霊は。

 不思議なことは、宇宙人のリーディングについてだけではない。
 地球の霊のリーディングでも、エル・カンターレについても、「おや」という言葉が続々と出てきた。
 表だっては語られないが、今年は、エル・カンターレと他の九次元大霊の差異が際立ってきた一年でもあった。

 驚愕すべきことに、エル・カンターレとは違い、ほかの九次元霊は
 「九次元霊であっても、被造物」
 であるということがひしひしと伝わってくる。

 そういえば、九次元といえど、一枚岩ではなくて、個性があまりにも違いすぎるというのは前々から知っていたが、
 ゼウスが語る内容を、マヌがひっくりかえしているのにも驚いた。
 マヌによれば、ゼウス・アテナの語る「神の業」の数々は、じつはレプタリアンの力を借りたものだった、という。
 (拝聴した人の中からは「マヌというかたは民主主義がお好きなので、やはりゼウスのように権威をもって指導されるというやり方がお好みでないのかな」、という感想が聞かれたほどだ)
 それらの神々が、みなエル・カンターレだけには一目置いている。
 聞き込むほどに、他の九次元霊への信仰心が限りなく立たなくなってきて、エル・カンターレ以外、信仰などできないように思わされる。

 神々の個性の違い、というだけではなく、次元構造についても発見があった。
 12月の善川顧問の霊言で、
 「(自分は)世界宗教を起こしていないから九次元になっていないだけだ」
 「自分も九次元霊になりたい」
 と善川顧問が語られているのも面白い。
 ご存じない方のために言うと、善川顧問は、至誠の方であった。
 小生たちだけでなく、初期に入会した人たちは、その名を聞くだけで胸が熱くなるはずである。
 善川顧問は、いつも、大病を超えてきた体を演題の前にすえて、しかし語る言葉は熱かった。
 ご自身の講演会のボランティアには一人残らず自筆の名刺を配り、パーティーでは、ご自身との握手を求めて長蛇の列をなす会員さんに対し、どれほど無残に手が腫れ上がろうと、一人残らず握手した。
 嘘は言わない方である。その方が、今回、霊言されたなかでの霊界は、
 「九次元というのは、自分の大地から見上げて上の方に目視でき、確認できるような、『わりと近い』ステージである」
 かのようなニュアンスに聞こえた。

 11月に聞かれた、ミカエルの霊言も、八次元と九次元の差が極めて近い印象を受ける。 
 ミカエルの、「九次元などものともしない」というその気炎は、あたかも、
 「九次元の条件は『天地創造の法が語れること』であるというのだから、たまたま「天地創造の時に居合わせ、世界宗教を起こす実績とパワーがあれば、誰でも九次元にいけるのだ。俺だって別に劣っていないぞ」
 といわんばかりの鼻息荒い主張が、薄皮一枚の下に脈打っているかのようだ。

 近い。
 彼らから見て、九次元は近い。
 少なくとも、「九次元だってオレタチと同じ、同じ被造物同士じゃないか」という認識があるような気がする。
 
 だが、これら、九次元霊を見ても一歩も引かない霊達が、なぜか、エル・カンターレのいうことはごくごく自然に聞いてしまうのである。
 そして、不思議なことに、それをあまり気にしていないのだ。
 エル・カンターレはあくまで別格。
 不思議な円滑さで、みな、彼の大霊の言うことを聞き、それを不思議に思わない。

 ……こんなふうに、エル・カンターレの名前の出る度、魔法のように不思議なことが、霊人達には起きている。

 さあ、ここで、以上のすべてにつじつまのあう仮説が、小生の周囲のでは、ささやかれている。
 初夢代わりに、ここに記させていただく。
 彼らの仮説はこうである。
 すなわち……。

 「……エル・カンターレは、地球神であるにもかかわらず、ありありと一千億年の孤独を知り、語れる存在。
 同時に、他の惑星からは考えられないような緻密な環境と次元構造を創り込んだ存在」
 「……じつは、エル・カンターレは、こんな辺境の宇宙にいるのが全くふさわしくない、群をぬいた存在なのではないか」
 「そして、もし、エル・カンターレが、『宇宙神』に近い、群を抜いた存在で、別な星では別な名をもって、他の人類の創造にも携わっていたとしたら。
 エル・カンターレが、金星系人類の祖であるだけでなく、実は
 『レプタリアンをも創った存在である』
 か、あるいは
 『少なくともレプタリアンの創造に深く関与している』
 としたら」
 「レプタリアンをも創造した存在であるがゆえに、いま、ご自分が指導する星にレプタリアンを招聘して、同化政策のモデルをつくり、『宇宙の調和と進化を合一させる』という宇宙的な目標を成就させようとしているのではないか」

 ……なるほど。
 そう考えると、すべて、今まで説かれた法の、謎めいた部分のつじつまがあう。

 さらに、会員さんたちの考察は続く。
 たとえば、職員たちはさかんに、「一億五千万年ぶりのエル・カンターレの下生」を喧伝している。

 ……だが、前回地球に出てからの一億五千万年間。エル・カンターレは何をしておられたのか。

 今世の個性を見るに、かの存在は、極めて勤勉で、ひっきりなしに仕事をされておられる。
 一億五千万年間、ただ地球の頭上にましまして、じっと動かず見つめておられる方であるとは思われない。
 しかもその名を隠す「無我」を好まれる方だ。
 エル・カンターレという方の魂の特徴の一つが、名前を変え、隠して、あちこちで精力的に動かれるのを好まれる、ということならば。

  「もしかすると、一億五千万年間、地球の進化を底ざさえしながらも、
エル・カンターレは様々な名前で、様々な惑星に下生しては、次から次へと指導しているのではあるまいか」
 「さまざまな星で、さまざまな文化のさまざまな主として下生されているのではないか。
 レプタリアンのお姿で、彼の星を指導されたこともあるのではないか」

 これが、会員さんの推測する、エル・カンターレという存在の本質である。

 ……この想像、実に楽しい。
 いろんな星に「お忍びで」「名を変えて」、レプタリアンになったり、不定形になったりして転生される先生は、なんともお楽しそうだ。
 同時に、こんなふうに考えると、わずかではあるが、自分の視点が広がることを感じられる。

 我々の想像を絶する、宇宙創生を成した巨大な意識体が、想像を絶する「転生」をされておられる。
 その存在が、いま、たまたま地球に「立ち寄って」、地球神として法を説く。
 その存在は、この地球の現実を、どのような眼で見ておられることだろうか。

 ……おそらくは、気の遠くなるような巨視的な目で、その存在は私たちを見ている。
 ……おそらくは、はるかに大局的な観点から、今の活動を見ているはずである。

 その存在からみれば、たとえば、一般の会員にとっては耐えられないようなこと……たとえば、世間の宗教に対する白眼視という「外憂」や、
 あるいは組織の官僚主義化だの、身近な転落だの、弟子たちの情けない姿などの「内患」など、なにほどのこともない。
 我々にとっては、その存在の視点を想像するだけで、 「内憂外患」に鬱々としてしまいがちな心が、一気に暗雲を晴らされ、「鬱」の雲など吹き飛んでしまうのを感じる大きさなのだ。
 なるほど、彼の存在の内心など、誰にも分かるまい。
 まだまだ語られぬ部分は圧倒的に膨大で、「じつは全てが方便だったのだよ」、といわれても、ああ、そうだろうなあ、と納得してしまう。

 ……これらの推測を聞く度に、しみじみと思うことがある。
 ……次から次へ、私たちが想像を絶するような、さまざまな星で、さまざまな転生をつづけていかれる巨大な神霊。
 だが、その存在に出会えた幸運は、あまりにはかない。
 おそらく、私たちはアルファを忘れ、エロヒムを忘れたように、まもなく、そのお姿を見たことすら忘れてしまうのだろう。
 ならば、いま、私たちはこの地球で、せめて、いい「旅の思い出」を差し上げたい。
 たとえばこの星の人々が、自らに石礫をなげつけるような、厳しい向かい風の風景が展開していても、その中で、無私で、無名で、赤心な一途な心で、その存在を信ずるささやかな群れがいたことを、旅の思い出として、私たちはその存在に差し上げたい。

 最近、V夫人は、
 「先生は、なぜこんな現状をほうっておかれるのか」
 と深く深く嘆く会員さんに対して、こう語っていたという話を聴いた。
 「あのねえ。
 何千年ものあとから、今を見てごらんなさいよ。
 先生の行動は、すべて聖書になるのよ。いま、起きていることは、すべて後の世の聖書なのよ。私たちは聖書の登場人物なの。
 だから、私たちに起きている全てのことは、みんな後世の人たちの学びの材料になるのよ。
 愚かしさも、輝きも、すべて、教材として語られるのよ。
 だから、私たちは聖書の登場人物として、やるべきことを元気よくやりましょうよ!
 いつか科学技術が発達して、自分の過去世が手に取るようにわかる未来が来るわ。
 そのときに、未来の私たちが今の自分を見て、恥ずかしくないように堂々と生きていきましょうよ!」

 以上、初夢がわりに書いてみた、この会員さんたちの推測と感慨。
 当たっているだろうか。
 外れているだろうか。

 もしも、巨大な宇宙の創生に関わっている神が、その圧倒的な真の姿と名を隠して、ほんの束の間、小さな辺境の星、「地球の神」を名乗って生まれ、ひとびとのために言葉と行いを遺してくださるというのなら。
 会員さんたちは、その存在の真なる出自と、そのとてつもない現場に居合わせた喜びを胸に秘めながら、こう呟いてついていくだろう。
 「エル・カンターレ、うるわしき地球の主よ」と。

 宇宙の法は、今年もまた、果てしない広がりと深さをもって説かれていく。

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