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小生・私論「インターネットと宗教活動」(中編)……Skype(スカイプ)を使うことで、活動はほぼ網羅できる

 前回の記事の続きで、ネットと宗教活動の可能性についての私論を書かせていただきます。

(3)学習コンテンツの充実~インターネットならではの検索システムを生かす

 前回、
 ・現時点で行われている世界の宗教活動は、現在、大部分がインターネットのみで実行可能
 という私論を書かせていただいた。
 そして、ネットで宗教活動をすすめるために、

・各団体が、ネットでの洗礼・得度を授ける
 ・宗教の肝心な教えの法話をすべて有料ストリーミング配信する

 案を書いた。
 
 さらに、各団体のサイトでできること、すべきことを書いてみる。
 洗礼が出来、法話が聞けたら、次にすることは、教義の「学習コンテンツ(記事・内容)」の充実であろう。
 これがまた担当者の腕の見せどころ。
 なぜ学びが必要なのか。
 それは、教祖の説かれた法の理解を深め、自らの仏性を正しく輝かせるためである。
 だが、いくらよい法が説かれてあっても、仏教のように法の量が膨大であったり、教祖の頭が良すぎたりすると、教祖の直説が有料ストリーミングで配信されたリストを見ても、どれから手をつけていいのかわからない。
 また、高いお金を払って見ても、結局よくわからない、ということがままある。

 これを補うのが、教団の実力である。
 ネットならではの機能を使った宗教教義の学習補助を行う。
 これも、いろいろなアイデアが無限に出てくるだろう。

 たとえば、「教祖様に直接悩みを答えて貰おうコーナー」、別名「答えて!  教祖さま!」(仮称)というコンテンツをつくる。
 これは、教祖の手をわずらわすことなく、しかも、教祖に直接個人相談をうけているのと同じ効果がある、という、まことに面白いコンテンツだ。
 まず、そのコーナーにアクセスすると、「お悩みごとは何ですか?」といった質問が出る。
 そこで、さまざまな悩みのジャンルが出たり、悩みを特定するための選択肢をえらんで貰ったり、イエス・ノーで質問に答えてもらう。
 あるいは、直接検索ワードとして入力してもらうのでもよい。
 例をあげるなら、「会社の人間関係で悩んでいて」とか、「腎臓が悪い」とか、「姑と上手くいかない」とか、「子どもが勉強しない」とか、色んな悩みがあるだろう。
 すると、画面に、その悩みに近いか、あるいはそのものずばりの質問に対して、過去に、教祖が講演会などの質疑応答に回答している動画や音声が流れる、というわけである。
 教祖の回答が複数ある場合には、リストの一覧で出せばよい。
 同じ質問でも答えが複数になるのは、その質問者の今の置かれてる状況やその心境、その実力によってその回答は全く違ってくるからである。
 このコンテンツ、宗教団体側の作り方はいたって簡単。
 教祖の講演などで過去行われた質疑応答の音声や動画を、すべて、一問ずつのファイルにする。(教祖によっては千件、万件になるかもしれないが)
 そして、来訪者の検索ワードに引っかけるために、キーワードを動画のタイトル等に盛り込んでおく。
 内容を一ファイルずつすべて文章にしたのに動画をはりつけたファイルをつくってもいい。
 あとは、アンケート画面にして悩みの答えにたどり着くような選択肢の画面をつくったり、訪問者が検索ワード入力によって、めあての動画にたどりつけるようにしておく。

 それにしても、何十年も講演を重ねてきた優れた教祖の、膨大な質疑応答のデータベースを自由に利用できる、など、もう、考えただけでくらくらする。
 これは対機説法のすばらしい宝庫であって、眠らせておくなどとは論外である。
 これをニーズにあった形ですべてオープンにすれば、
 「法を学べば幸せになる、なんて言われたって、全然ちんぷんかんぷん。どっから何を学んだらいいかわからない」
 という人にとっても入りやすいし、
 「まず自分の悩みを救ってほしい」
 という宗教のニーズにぴったりマッチする。
 これは、現場の聖職者にも個人相談でつかえるという利点がある。聖職者は、教祖の質疑応答を、相談者に見せながら、それに解説を加えたり、目の前の人にあったように処方箋をかえたりする仕事をすればいい。
 教祖もそこまで過去の法話が活用されれば本望だろう。
 くりかえすが、優れた教祖の人生の個別の悩みに対する回答は対機説法の神髄であって、まとまった法話や講演以上にわたしたち人類の財産なのだ。ネットの便利な機能によって、徹底的に活用し、ものにしないという手はない。 

 ……ここまでは、教祖がご在命の団体を念頭に置いて、いかに教祖の直説を一般に見て貰うか、という観点を主にして、書いてきたが、そうでない団体のほうが圧倒的に多いことだろう。
 教祖が歴史上の人物だったり、ビデオが残っていない団体は、歴史的資料や文献などが検索の対象となる。
 そういう団体は、グーテンベルグ計画のように、教えの全てをテキストデータ化して、検索して利用して貰うのである。
 あとは上記と同じ。アンケート型の導入を作ったり、検索をかけたりすることは同じである。
 仏典だと量が多いので、国訳大蔵経なんかだと、和訳だけでもかなりホネがいる作業になりそうだが、それをやったら、俄然仏典が生きて、現代の私達の悩みに答えてくれるわけだから、教えが身近になって、かなり面白い。

 なお、ここでも「いや、経典をそんなふうにしたら、自分たち聖職者の収入が、飯のタネが……」という声が聞こえそうだ。
 言っておくが、経典をテキストデータにしたとしても、それでも書籍という媒体は売れ続ける。
 なぜなら、テキストで全文読めても、書籍のほうが目に負担がなく、全体をつかんだり、すぐに繰り返し読んだりするのに遥かに向いているからなのだ。
 小生は、青空文庫で無料で未読の書籍がよめる作品でも、やはり書籍を購入している。
 パソコン画面だと、目の疲れ重く、パソコンのテキストデータを印刷したものより、書籍のほうが格段に読みやすい。

 以上が「教祖の説法を利用し尽くす」という事に関する一案である。

(4)Skype(スカイプ)の活用で、法談から面談、祈願や研修の全てが可能に

 さて、教祖の直説を利用しつくすことを考えたら、次は教祖の直説ではない、お弟子たちの解説コンテンツについて。

 教祖が故人の場合はもちろん、教祖が生きておられても、その講義を解説した魅力的な講師のノートや法話が大人気を博している講師・聖職者もおられるはずである。

 いずれにせよ、そうした自信のある聖職者は、ばしばし自分のお寺や教会のサイトに、自分の講義のレジュメを無料で上げたり、講義の動画を有料のストリーミングで上げていただきたい。
 
 実際に為された講義のみならず、ほかにもどしどし、ネット限定で、「この記事を読んでいるうちに法話が見たくなった」とか、「法話を聞く余裕はないけど、レジュメが参考になる」「この解説はすぐれものだ」というコンテンツを常に揃えて更新していく必要がある。

 魅力的なコンテンツを生む「ネット講師」を、教団の中から集めてきて、どしどし書いてもらうのだ。

 そして、学習上の質問や法談は、Skype(スカイプ)という無料のビデオ通話システムでじゅうぶん事足りる。
 Skypeを知らぬ方はこれを機会にご検索あれ。
 自宅で学習会に参加したり、遠隔地の有志同士の合同学習会なんてこともできてしまうし、質疑応答にもリアルタイムに答えられるし、講師との面談もできる。
 どうしてもSkypeに抵抗があったり、まとまった論考の添削を頼むならメールにされるといい。
 人生相談から学習相談まで、経験豊かな聖職者は、相談に乗ってくれるだろう。
 この場合、講師役はプロの聖職者だけでなく、在家の人からも登用するのがキモである。学んだ法を実体験に裏打ちされた成功者の回答は、絶対に重みがあるはずである。
 こうした講師の利用に関しては、利用者からの評価もつけられて、講師選びの参考に出来るようにする。

 なお、「講師への評価」という言葉を出したので、ついでに申し上げるが、支部教会別にサイトを立ち上げるなら、「どこの地方教会のアクセスが多いか」「どのコンテンツが一番人気か、利用者に何段階かの評価を入れてもらい、その集計データを常に更新して公開する」こうしたことをたえずオープンにすることである。
 そうすることで、聖職者の間に良い意味の競争意識が芽生え、どこにいったらよい講義や情報が得られるか、参考になる。
 「ユーザーが自由にサービス(この場合は講師)を選べる」という点は、ネット活動に限らず、繁栄のための大事なキモであって、この競争意識をを導入しなければ、ほとんどといっていいぐらい、あっというまに企業・団体のサイトなどは自己満足の道具となりはててしまう。
 この「自由」という概念は繁栄をうみ、全体主義の「不自由ゆえに発展できない」ことに対する強力な武器になる。

 だが、競争主義だけではぎすぎすしてしまうので、同時に「できるだけ各支部のサイトにまんべんなく通って貰う」、という工夫もする。
 たとえば、
 「各教会・寺院・精舎ごとにホームページをたちあげるならば、『ネットお百度』制度なんてものがあると楽しい」
 という意見を聞いたことがある。
 これは自分のアバターを設定して、全精舎・支部をまわり、そこでの有料コンテンツに参加するごとに、どんどん自分のアバターの見た目が「進化」し、全部回りきってスタンプがつくと、一本ネット法話を無料参観、とか、教会のグッズの商品券などのプレゼントに変換される、というのだそうである。
 なるほど、そうすれば、各支部にまんべんなく人が集まるし、多分に娯楽的要素があって、学びが楽しくなると思う。
 なにより、ネット上ではあるが、楽しみに後押しされて、信仰生活を長く積み重ねる習慣をつけられることがすばらしいと感じられる。「継続は力なり」、である。
 そうやって、団体全体が豊かになるようにもりあげていく。

 さて、ストリーミングで講義が聴け、法談・面談すらSkypeで可能、という条件さえ揃えば、在宅で「ネット研修」が受けられる。
 ネット祈願も可能。これはどこの団体も、すべて有料コンテンツになるだろう。
 祈願の動画でも事足りるが、どうしても自分のために、リアルタイムのライブでやって貰いたい、というなら、事前に予約して、時間になったら、パソコンの前に待機しておいて、ライブで聖職者が自分のために祈願している映像を中継で流してもらい、各団体の指導霊の光をしみじみと受ければ良い。
 宗教施設でないから、効果が弱いと言うことが場合によってはあるかも知れないが、信仰が仏神に通れば、御利益はあるはずである。

 宗教団体における資格試験も、ネットで行える。これも有料。
 CASEC(キャセック……インターネットで行う英語力測定試験。TOEICや英検との目安比較も出来る) のようなスタイルの試験方法のシステムを組めば、その場で時間制限を設けて客観式試験を受けることが出来るだろうし、論文はメール審査で問題ない。
 落ちるのが支部のみんなに知られると恥ずかしい、という理由で敬遠していた人も、これならこっそり気楽にうけられる。
 個人面談、懺悔とか、人に聞かれたくない告解すらも、団体と聖職者に信用があれば、ネットで出来る。

 この場合も、担当聖職者たちの氏名は全てオープンにして、指導を受けたい聖職者は、在家が選べるようにし、指名数や受講者の段階評価による満足度の評価レートは、在家からすべてわかるようにしておくのである。

 こうして、ストリーミングで視聴する最新法話、販売された書籍・経典と、Skype・メールでの質疑応答、教義の学習は完成することが出来る。

 こうして学習が進めば、ネット信者も、サイトを見るだけではなくて、逆に会のサイトの運営や教学のまとめノートを投稿するコンテンツへ、投稿者や執筆者として参加なども行うことが出来るだろう。

 そして、今という時代において絶対に必要だと思われること。
 それは、法話や質疑応答、祈願など、主要コンテンツの全てには、必ず英語版・あるいは英語字幕をつくることではないかと思う。
 この作業は、現在の状況では外せない。
 最初はとりあえず日本語版だけでも良いが、突貫工事で大至急、かたっぱしから英語にしていくのだ。
 なんのためか。
 「英語圏に広がることが世界宗教への避けて通れない道となるはず。英語圏の人々に、広くアピールして理解を得なければならない」
 ……ということももちろんある。
 だが、もっと突っ込んで言えば、これは、隣国の支配からの、外護のためである。
 全体主義国家は、たとえ日本を制圧したとしても、英語圏の全てを制するところまでは、まだまだ時間がかかる。
 その隙に、英語圏に逃げ込めるようにしておく。そのために、英語圏の人々に、教えを余すところ無く開陳して、とにかく理解を広げておいて貰わねばならない、と考えるものである。

 なお、ここでも「こんなことまでネットでやられたら、オレたちの収入が……」というプロ聖職者のうめきが聞こえてきそうなので、くどいようだが、申し上げる。
 いくらネットが発達しても、宗教において、実際の建物の持つ重要性はなんら薄れることはない。
 教会・寺院には、霊場・神域という特別な空間的意味がある。
 最後に信者が行き着くのは、やはりそうしたより濃厚な空間なのである、ということを、申し添えておく。

(5)会員同士の交流、布施、その他の可能性

 さて、一人で学んでいるのでは味気ないし、勘違いもあったりする。
 だから、各団体のサイトの中には、大きな容量の掲示板も置くのである。
 スタイルは団体の性格によるだろう。
 匿名でもどんどん書いてもらうために、2ちゃんねる形式で好きなことを書かせる形式にし、広く門戸を開いて情報を集めるか。
 それとも詐欺だの商売の場にされないように、目を光らせる必要も出てくるから、やはり個人が特定できるようなパソコン通信スタイルにするか。その団体のお好みである。
 いずれにせよ、いざこざは耐えないだろうから、荒らさないために、腕のよいボードリーダー(←今では使わない単語かな?)のスカウトが必要になるだろう。
 つっこんだ個人的な交流はSkypeやメールで行う。

 さらに、海外に支部のある宗教団体は、後述する外国語習得のサイトや、海外掲示板も用意する。
 現地の信者さんとやりとりできるようにして、海外の子どもたちや援助が必要な人々から事情を聞き、どんな支援が必要か、自分の支援はどこに投下したらいいのか、考えることもできるだろう。
 かたことの現地語を習って、現地の子どもたちや信者さんと話が出来たりしたら、ぐんと楽しく、また、現地への援助に熱も入ろうというものだ。

 さらに、布施。
 布施が出来れば、その団体の立派な信者である、という。
 布施の強要で辟易する、わずらわしい、などの理由で、教会や支部での布施をしたくない人はこちらを選ぶかも知れない。
 ネットで買い物をした人ならおわかりだろうが、インターネットでの寄付や、お金の振り込みというのは、実に簡単にできてしまう。
 巷の怪しげな情報商材などは、一枚のページに書き連ねた言葉の魔力だけで、読者一人から数万円をぶんどっていってしまうほどだ。
 また、引きこもってネットで投資している人などは、資金に余裕があり、こうした人たちの支持を受ければ、布施は集まる。
 ネット大黒天、大いにけっこうではありませんか。
 それに関連して、成功者の会員さんにその秘訣を伝授して貰う記事を載せたり、収入に関する会員さんのサイトを紹介したりなどして、豊かになる知恵を提供する、というのもありだろう。

 そして、伝道。
 良いと思えば、人は入ってくる。
 ネット会員となった人が、ネット支部に赴くことで救われた、と思えば、悩んでいる友人にすすめるだろう。
 また、ネットで学んでいるうち、それだけではものたりなくなって、布教誌やビラをまきたくなったら、郵送で箱で送って貰って、人と顔を合わせない時間にポスティングにいくことができる。
 朝まだき、良いことの書いてある布教誌・ビラ等を、一通一通を祈りながらポストに入れていく経験は、とても得難い清涼感を人に与えてくれるだろう。
 そんなところからはじめてもよい。

 また、一対一だけでなく、ネットを使った広宣流布の活動に参加して貰うのも立派な伝道だと思われる。
 ネットでは、2ちゃんねるのような巨大掲示板がいくつもあるので、そこに効果的な爆撃をかけたり、オープンな中で論戦に参加したりするこ人は、多いほど良いのではないだろうか。
 ひきこもりや、自宅から出られないが、信仰があって世の中のお役に立ちたいという人たちのための道を、ネット教会は拓くことが出来るのである。
 
 以上で、宗教における主な活動のネット展開についてざっとふれたことになる。

 以上、今回の内容は、

 ・教祖の法話をより身近に理解するため、ネットの検索機能を使って学習コンテンツの制作
 ・魅力的な講師による講義や解説を頻繁にアップロードする
 ・Skypeを利用した、法談・面談・個人相談や、研修・祈願の開催
 ・講師は在家からも登用し、氏名を明かして、利用者からの評価をつける
 ・各支部ごとにサイトをつくるなら、競争原理とともに全体の向上できる工夫を
 ・英語圏にアピールするため、サイトは全て英語字幕をつける
 ・掲示板を利用して、信者間の交流をはかる
 ・布施、伝道なども、ネットで可能である

 ……等々のTipsをあげてみた。
 簡単に終えるつもりが、長くなってしまって恐縮である。 
 次回、後編は、「ネットで広がる、伝道・布施・その他の活動」について。
 次回で完結させますので、もう少しおつきあい願います。

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