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小生・私論 「インターネットと宗教活動 」(前編)……世界を救うためのネット布教

 このたび、幸福の科学から、
 「習近平の守護霊霊言」
 が、緊急発刊される。

 ご一読をお勧めする。
 ある意味、「ヨハネの霊言」よりも強烈に絶望感を印象づけられることだろう。

 こんな人物が中国に君臨しようとしているのか。

 日本にとって暗澹たる「大中華帝国」の成立が、まるですでに実現化したかのように、ありありと語られている。
 
 おそらく、この習氏が最後の大ボスに近いのではなかろうか、という印象さえ受ける。
 その霊言の後で総裁は

  「手強い。最後は大中華帝国対幸福の科学の戦いになる。」

 と、一瞬で肝の冷えるような未来を語られた。

 「むこうは核を持っているが、こちらは丸腰。思想戦で戦う」

 こと、そして、戦い方としては

 「全世界に法の種をまいていく」

 ことを説かれた。
 
 すでに、その新しい戦術が、幸福の科学では考えられている。

 少し前になるが、最近、幸福の科学で再び「卑弥呼の霊言」が収録された。
 その中で質問者との対話から、このたび、幸福の科学にIT伝道局というのが発足した、という話がされている。

 幸福の科学は正直、これまでITに関して全く出遅れている感がある。
 おそらく、幹部クラスに全く理解がないのではないか、と思う。

 ところが、このIT伝道、とんでもない可能性を秘めているのである。後発でも、これを制すると、世界を制することが出来る。

 多くの方は気づいていないかも知れない。しかし、これは世界をひっくりかえすことができる強力な戦略なのだ。

 ざっとどんなことができるのか、また、発展を望む団体がしなければならないのか。

 こちらのサイトにはありがたいことに、いろいろな宗派の方が来てくださっていることであるし、幸福の科学に限定せず、インターネットと宗教活動の可能性について、今回の更新は私論をあげさせていただく。

 一つの楽観的な未来のビジョンとして、楽しんででも頂ければ幸いである。

(0) インターネットと宗教活動

 ネットの宗教活動について述べる前に、ネットの現状に関して。
 かなり前になるが、「インターネットは空っぽの洞窟」という書籍が売れたことがある。
 熟読はしていないのだが、タイトルだけざっと見ても、いわんとすることはわかる。

 「騒ぐほどのことではない。ネットの中身は空虚である」というニュアンス。

 確かにその通りである、とは思う。
 
 ネットをはじめて最初のうちはとても興奮する。
 ところが、使い続けていくと、意外にも、欲しい情報は書籍や現地取材のほうが断然得られることに気づく。
 さらに、ネットで調べた店舗へ行ってみるととうに営業を停止している、などという、古い情報に攪乱されて舌打ちすることも少なくない。

 小生たちの若い頃は、ウィリアムギブソンにはじまり、士郎正宗氏の「攻殻機動隊」や、菅浩江さんの「永遠の森 博物館惑星」にでてくる検索システムや情報共有には憧れたものだが、それはまだまだ遠い先の話。

 現時点では、そもそも、誰かが膨大な時間をかけて、この世の出来事や印象を文章化・記事化し、検索エンジンに読み込ませない限り、情報はネットにはのぼらない。
 そして、そんな労を執ろうという人はまだまだ数少ないのだ。
 出現以前と変わっていない部分もある。

 情報収集において、意外と未熟で不正確。
 それらは、ネット利用者がまず知っておかなければならないネットの未発達な部分だ。

しかし、先ほどの言葉を借りるなら、「空っぽの洞窟」というスペースがあれば、そこに市場がたち、人が暮らせる、これは間違いない。

 そして、マスコミが崩壊し、来年以降から大手マスコミの倒産がはじまれば、次に力を持つのはネットという巨大な洞窟だろう。

 各宗派の方々は、これをどう生かすのか。
 釈迦の時代にもイエスの時代にも、インターネットがなかったために、おそらく今世の宗教者たちも、活用の仕方が分からないに違いない。
 というか、全く考えていないように見受けられる。
 せいぜいで各宗派のホームページを出し、メールマガジンを発信し、行事をメーリングリストで配信する、ぐらいだろうか。

 しかしそれでは勿体ない。

 小生は一時期、体調が悪く、本も読めず、テレビは元から嫌いで、ネットに親しんだ時期があった。
 健康でも、多忙になればなったで、なかなか活動への参加は難しなくなる。

 その間、「教会・寺院・支部等へ行って動くことが出来ないときでも、宗教団体でこういうのがあったらいいのにな」と思ったことはいくつもあった。

 つまり、これから書くことは、すべて在宅から出られない事態をしばしば経験する人間の実体験と切実なニーズから来ている、ということを一言申し上げておく。

(1) まずは入り口~「ネット洗礼」『ネット得度」からはじめる

 「宗教団体がネットを使って出来ること」とはなんだろうか。

 現在、インターネットの活用の仕方は以下の通りである。
 まず、現実の組織とからめて、ホームページを作って宣伝する。
 法話のネット・メール予約や行事参加の予約が出来るようにする。
 そんなことは、もはやあたりまえのことである。(やっていないところはかなり出遅れていると思っていい)

 だが、この稿でふれるのは、そんな当たり前のレベルのことではない。

 ……じつは。
 ほんとうは、いま各宗教団体がやっている、現実の活動は、すべてネット上でできてしまうのである。

 ……えっ、そんなばかな!、というあなた。

 では、ご一緒に検証してみましょう。

 まず、宗教の入門である、キリスト教の洗礼や仏教の得度、といった信者になるための儀式。

 それらは、「ネット洗礼」「ネット得度」の導入で可能となる。

 ロバート・シュラー牧師。先日、なんとクリスタルカテドラルが破産してしまい、アメリカの精神の象徴の一つが没落したかのようなショックに震えた。
 しかし、氏の若かりし頃はやはり発展の神がかかっていたとしかいいようがない。
 なんといっても、世界ではじめて「ドライブイン教会」をつくって、人々の度肝を抜いた。
 (そういえば、以前、ドライブスルーで結婚式をあげている教会を見たことがあったが、やはり氏の仕事の流れに影響をうけているのだろうな)

 氏のなされたことを今に置き換えるなら、やはり、今の時代は
 「ネット洗礼」「ネット得度」
 だろう。

 各団体が、「メンバーとなるための基準」を設けて、信者認定をすればよろしい。

 住所全てを書かせるか、メールアドレスだけでよしとするか、身分証のコピーをメールで添付する必要があるか。
 論文が必要か、簡単な同意書のクリックだけでよしとするか。
 Skype(スカイプ)やテレビ電話で面談しなければ信用できない、という団体もあるだろう。

 キリスト教では「洗礼」一つですむが、仏教関係では、得度に段階をつける、ということもできる。
 「誌友」から、「本弟子」クラスまで、認定基準を設けて、情報の公開量を多くするのだ。

 これら、「ネット洗礼」の大きなメリットは、敷居を低くすることが出来る。

 日本の宗教のマイナスイメージはすさまじいものがある。
 そのため、「法話や講義を聴きたい」と思っても、「洗脳されるのではないか」と、怖くて近寄れない層というのがかなり多いのである。

 「イタズラや自作自演などがあったらどうする」という声があがりそうだ。
 なるほど、それらの防ぎ方は、頭の悩ませ所かもしれないが、それは現実でも同じことではないかと思う。
 (そもそも、イタズラで信者になってもメリットがないような気もするがどうだろう。
 逆に各団体とも、架空信者をたくさんつくって水増しに使われそうではある。まあ、その場合は、ネット信者は公称信者数のカウント外として扱われるようになるだろう。
 いずれ信者数の誤魔化しというのは、ばれてしまうものだと思うのだが)

 敷居が低くなるだけではない。
 ここで、宗教者たちが思っても見ない、インターネットの利点の一つが生まれる。
 それは、「ひきこもり」とか「オタク層」のとりこみであり、大部分を部屋の中で過ごすような人へのアプローチが可能だ、ということ。
 更に、日本に限らず、この制度が確立すれば、自宅から一歩も出られない、あるいは弾圧国家で拘留中、などの事情があって軟禁されている世界中の人々と、一気に仏神との縁をつなげることができる。

 信者になっただけで、団体には何のメリットもないじゃないか、というあなた。
 とんでもない。
 それから先のことまで、ネットではすべてができるのだ。

(2) ストリーミングですべての講義や法話を拝聴できるようにする

 さて、信者になったら、次は活動、 教義の学習が必要となるが、
 これについては、
 「ストリーミングで教祖の全講義や最新講義をすべて(あるいは期間限定で)パスワードをかけて有料配信する」

 ……これにつきる。

 各団体とも、YouTubeで、すでにこうした法話の一部はアップしていることと思う。
 衛星布教所、というスタイルをとっているところもあるだろう。
 しかし、これを、一本数千円~数万円の有料配信にして、教会で行うのとほぼ同じものを見ることが出来るようにしておく。
 数万円で何本か詰め合わせ、みたいな有料パックをつくってもいい。

 これを、どんな人々が見に来るだろうか。

 先日、幸福の科学広報局の里村氏がレクチャーされたときに、
 「左翼の有名雑誌『紙爆弾』」の企画で、理論派と言われている右翼最高顧問の方の指名で、里村氏と彼との二人の対談を主宰した。
 ところが、幸福の科学総合本部で行われたその対談に、『週刊金曜日』という左翼雑誌の人をはじめ、元連合赤軍の幹部で、出所後、今は編集プロダクションをやっている人など左翼の人々がぞろぞろとついてきた。
 彼らの希望で、『マルクスの霊言』を見て、彼らは相当ショックを受けていた。その後にみんなで近くの居酒屋で飲み会をした。その席で彼らが口々に『(幸福の科学が)凄く自由でオープンなんでびっくりしました』といっていた。
 そして後から、参加者の一人がFAXで、『「あまりにも開放的で、オープンで、全然自分のイメージと180度違いました』『百聞は一見にしかずと、会ってお話ししてみると、本当に色んな偏見が取れます』という感想が来た。
 某・大宗教団体では、施設に入るのにすらIDカードが要るのだそうだが、幸福の科学でそんなことはなかったのである」
 という内容のことを語ったという。

 左翼がぞろぞろついてきた、というのは、「一人では怖くて宗教団体には行けないが、公開霊言には大変興味がある」ということのあらわれではないかと思う。

 みな、聞きたいのだ。
 しかし、怖い。

 その垣根を、ネットのストリーミング配信が取り払う。
 どうしても解説が必要だ、というなら、ストリーミングの有料配信映画などがコマーシャルを強制的に見せるように、講師の解説を強制的にみなければならないように組んでおく。

 こんな風に自由に見せたら、「好きなことを書かれてしまう」「好きに解釈される」という危惧もあるだろうが、なに、すでにアンチの活動家がスパイのように入っては、得た情報をもとに好きなことを書いていることもあるという。ネットで配信しても変わらない。

 その他にも、会員制のコンテンツを用意して、最新の情報等や、レクチャーなどの概要にパスワードでアクセスできるようにしておく。

 もし、聖職者から、「いや、うちの団体は教祖さまの講演が職員のメシのタネなんだ」(←こんな教祖様のいる団体は幸せである)という強硬派がいる団体があるかもしれない。
 そういう方々には、「ネットを知らない層を足で回って、自分の力で教会・寺院・支部等に来る人を集めて見せろ」、と申し上げたいが、その言葉をグッと飲み込んで、一応申し上げる。

 問題ない、と思われる。
 たとえば、GyaO(ギャオ)などはじめ、動画配信サイトで、映画の配信をしているでしょう。
 あれと同じで、ダウンロード不可の有料ストリーミング配信でやればよろしい。
 そもそも、インターネットの映像というのは、ものにもよるが、やはり画像が今ひとつなのだ。
 苦労して、工夫してダウンロードしても、「.flvファイル」なんてひどい画像である、という。
 じっさい、ゆっくり映画を見たければファンは劇場に行き、DVDを買う。
 同じ事である。大画面の綺麗な映像で見たければ、最寄りの支部にいき見せて貰い、後日、DVDを購入すればよろしい。
 それに、支部でなければ手に入らない書籍やグッズもあろうし、なにより聖職者が魅力的なら、人は来る。

 いや、どうしても地元の収入にしたいというなら、ホームページはすべて、各地方教会ごとで立ち上げるようにしておく。
 そうすれば、好きな各地方教会で聞いた法話は、その地元の寺なり教会なり支部の収入になるわけである。

 これはむしろ地方の教会にとってはありがたいことであって、担当の聖職者が変わった途端、参加者が激減した、などという場合もあるようだが、 
 来なくなった人々がきちんとネットを通じて各地方教会にお金を入れてくれるなら、とてもありがたいことではないだろうか。
 ネットビジネスをする人たちの中には、ネットのサイトは一度良いものを作れば「不労所得」といわれるぐらいなのだ。是非活用して頂きたい。

 いっぽう、在家信者にとってもありがたい。
 地元の聖職者が、もし「クレクレ波動」まるだしのタイプの人物であったなら、信者の足は遠のいてしまうであろう。
 また、特定のファンの聖職者に布施したい、という信者さんは、「好きな聖職者に布施する自由」が与えられるわけで、嬉しいことこの上ないだろう。
 宗教心のある人は、いつも法を知りたい、徳を積みたい、お役に立ちたい、と思っているのだ。
 もしも、聖職者に「自らがまだ完全ではない」という反省の心があるならば、その人達が行き場がなくなったときの間口を広げておいていただきたいのだ。

 (ネット配信だけでなく、「ぽすれん」などと同じに、ネット受付で郵送、あるいは、あるいは地方の教会を窓口にしたレンタルサービスを開始しても良い。
 レンタルビデオ屋では、宗教団体のアニメ映画は平然と貸し出しているし、ハウツーもののコーナーに法話が並んでいても一向におかしくない。だが、一般の店では置かないだろうから、教会や寺が、自分たちの名作法話の宗教ビデオレンタルを行うのだ)

 これは大切なことなので、重ねて、一部、プロの聖職者たちに申し上げたい。
 在家の伝道者にとって、理想の世界とはどんなものか。
 それは、全ての人がすぐれた宗教家の教えに自由に触れ、日常生活で、映画の感想を言うように、世界の色々なところで感想をいいあう、そんな光景が、全世界中のあちこちで広がっていることだ。
 そして、これは、これからの未来、自由な社会が生き残るために、絶対に必要なことだ、と思われてならない。
 くどいようだが、もはや平和な時代ではない。
 「大中華帝国」が、すべての自由を潰そうとしてすでに軍事的な配備を完成させつつあり、経済でも侵略を重ねて幾つかの国を手中に落としている。
 経済と軍備の天才が、世界を牛耳ろうとして、すでに成就しかけているのだ。
 それに対抗するのが唯一、「思想戦」であると、幸福の科学の大川総裁は言われた。
 「思想戦」の最大の武器。それは、徳のある宗教者の「法」である。
 「法」こそが仏神の生命、法の言葉こそが全世界の人々の仏性を輝かせ、蜂起させる。
 ならば、その「法」を一人でも多くの人に見せることが弟子の仕事ではなかろうか。
 ネットで法話がオープンにされたからと言って、聖職者の仕事がなくなるわけではなく、魅力的な教えの解説を行い、人々にその映像を見たくさせることに、その仕事はよりシフトしていくことになるだけである。
 最高の武器があり、それが使いべりしないものなら、その最高の武器を可能な限り前面に出して戦うべきである、と申し上げたい。
 そうでなければ、全宗教は、これから台頭する「大中華帝国」の全体主義に対抗することなど断じて出来はしない。

 以上、まとめると、

 ・ネットで洗礼・得度など、入信ができるようにする
 ・コンテンツのある団体は、動画配信を徹底する。最新法話から旧作まで、定期的に法話を入れ替えながら、団体の宝とも言うべき講義や映像、すべてをクレジットカード支払いの有料配信にて、ネットでオープンにする。
 ・各支部教会は画像の良い大画面版を用意して、よりサービスの向上に努める

 という提案である。
 これを実現しても、いきなり世論は変わらないだろう。
 だが、世論が代わり始めたときに、このシステムが整っているのと居ないのとでは広がりが全く違う。
 人々が目をむけたとき、このシステムが整っていれば、一気に燎原の火のように、教えを広げることが可能なのだ。
 なにより、宗教者には時間が残されていないし、こうした手段をとることで、その団体が「誰に聞かれても恥ずかしくない話をしている」ということで、従来の宗教と違って、オープンな精神を持っている、という確たる印象を与えることに成功するだろう。

 それになによりこれは、ひとつの宗教が滅びないための保険でもある。
 インドでの、仏教滅亡の史実を思い出していただきたい。
 たとえば、仮に、現代において、当時の仏教のように、すぐれた教えをもち、後生大事に、ビルの一室か何かに教えを囲い込んでいる宗教団体があるとしよう。
 そこへ、隣国の大陸にチンギス/ハンのような指導者が現れたとする。そして、その指導者が、その宗教団体を脅威と見なしたとしたら……。
 その人物は、機に乗じて軍を動かし、前々からマークしていたその本部の教会なり寺院のいくつかを襲い、教えのデータベースの全てを破壊することに、いささかも躊躇しないだろう。
 さらに、その団体の影響力を大きく見積もっていたら、念には念を入れて、都市ごと消滅させるという作戦を考えても、おかしくはない。

 そうしたら、その宗教の息の根は止まりかねない。団体が存続できたとしても、後世の人類の宝として伝えていかなければならない、重要な大部分の説法のデータベースは、永遠に失われてしまうかもしれない。
 あたかも、イスラム軍に寺院を潰され、インドから消されてしまった仏教のごとくに。

 だが、もしその団体が、つねづね教えをオープンにしていたら。
 その教えを、人々の心の糧として、その正当性を知らしめていれば、世界から非難の声が起きるし、外護をうけることもできよう。
 さらに、各国、主に欧米圏のサーバーに、教えや、経典・動画データのすべてをアップしておいたとしたら。
 すぐれた教えは壊滅をまぬがれ、その言語を理解することが出来る人さえいれば、翻訳して、後世に伝えることが出来る。
 
 思うに、「護法」とは、大切な経典や秘密の教えを人目にさらさないことではない。
 逆に、すべての人々の心の中に根付かせて、なにがあっても連綿と後世までその精神を絶やさないことではないだろうか。

 以上、いろいろ、大胆な意見を書いてしまった気がするが、要は、あらゆる発展の可能性を否定しないことである。
 宗教者たちの、既成の常識でこり固まった頭を破壊しなければ、ネットでの伝道の成功はあり得ないように思われる。

 ……さて、では、そのネット伝道を利用して、信仰者たちが、それぞれの各宗派の神々の光で、いかにして世界を覆うことができるか、という件に関しては、次回、次々回、中編・後編にて書かせていただきたい。

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