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2010年02月07日 『信仰と未来社会』福岡国際センター(2)  信仰の基本「霊的人生観」

 決意の姿で壇上に立った総裁。
 いったい、どんな方向に講義が転がっていくのか……とおもいきや、その口から語られた講義は、じつに、基本中の基本だった。

  ・日本人が、戦後の敗戦により、信仰を喪失したこと。
 ・それは違う、敗戦の一時を持って信仰を失ってはならない。敗れた信仰はきわめて民族主義的である。だが、ここで説く信仰は違う。

 ・総裁が無知の大海に対して、ただ言葉を武器として戦い、三十年の戦いで信用を築いてきたこと。
 「智慧をしぼり、汗を絞り、忍耐と努力の結果」

 ・世の中に、信仰のある人はあっても、正確な教えを学んでいない。仏教のお経に残るのはごくわずかであり、教会は二千年前のイエスの時代で止まっている。
 この現代、釈迦がなんというか、キリストが何というかを知りたければ幸福の科学にそれがある。
 仏教の神髄、キリスト教の神髄は幸福の科学において語られている……
等々。

 ……とても懐かしい。これまた、二十数年前にタイムスリップしたような講義だ。
 特に、霊的人生観の話が素直にしみた。

 「この世の利害を超えて本当のことを訴えたい。」
 「正しい人生観に基づいて生きていただきたい。
 死んでからあと、死後の世界があって、自分の本質が肉体ではなく、心の、精神的存在、魂、あるいは別の言葉で言うならば、心と呼ばれているものがあなた自身の本質であると私は申し上げている。
 その事実をもとにして現在ただいまの生き方を考えていただきたい。
 さすれば残された人生、皆様方が道を外れることはないであろう」

 「死した後、人間の姿となるは心である。」という、一番の教えの源流を再び聞くことが出来た。

 ここが、幸福の科学の信仰のコアになるところであり、また、これまで人類史上現れた、すべての心ある宗教者の「悟り」といわれるものの基本を、現代語で表現した部分である。
 この心境をまずつかむことが信仰である。
 この信仰に金銭は本当は必要ないし、難しい学問も本当は不要なのだ。
 要は、この感覚を二十四時間ずっと護持したまま、生きて、死ぬことができる、というのが、一番基本の基本なのである。
 それを広げるために、「げんこつだけでは勝負できない」から、施設が必要であって、そのための金銭が必要となる。
 (この言葉は二十数年前、拡張期を迎えるに当たって、「これからはげんこつだけでは勝負できないんだよ」と、総裁が側近に漏らした言葉である。「げんこつ」とは、徒手空拳の意であると思われる) 
 また、その信仰の感覚だけでは、様々な思想や人々の思惑のひしめくこの世の人生で、失敗すること、行き詰まってしまうことがあるので、学びが必要になってくる。
 巨額の金銭が動いたり、膨大な学びの伽藍が組み上がっているので、多くの人々は誤解したり、ひるんだりするかもしれないが、この宗教の主張の根っこはひたすら、ここにある、といってよい。

 この話を、毎回毎回、もう三十年近く、総裁はされている。
 おそるべしは、一度も同じ言葉を使わず、言葉を変え、表現を変えて語り続けているということだろう。

 実は、この一点の確信を精神でかみしめて実感できると、かなりの悩みが解決してしまうのだ。
 あらためてその部分を聞くことが出来たことが喜ばしい。早くCDにしていただいて、繰り返し聞きたいと思うのは年をとったせいだろうか。

 ……それにしても、二十数年前、教えを聞き始めた頃には、もっと早くにこうした思想が常識になって、総裁にはもっと奥の法話をしていただきたい、いや、きっとしていただける、と思っていたのだ。
 これだけの宗教者にまだこんなベーシックな話をするのに時間をとらせているのは、弟子や支持者の不明としかいいようがない。
 (これに関しては、僧団への大変痛快な指摘が 「松下幸之助、日本を叱る」に書いてあるのだが、やはり幹部はまだそれを本気にしていないように感じられる。これはまた稿を改めて記録しておきたい)

 この幸福の科学の基礎理論を一通り語った後で、講義は、今回、もう一つ、強烈な印象を与える部分に入っていく。
 (……次回に続きます)

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