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大川総裁 「仏陀再誕」連続講義 ……携帯版『仏陀再誕』七カ所の修正点

 全国的にロングランになっている映画「仏陀再誕」。

 うちの近所の映画館でも、
 「窓口で、明らかに会員ではない人たちが当日券を買っていく」
 ので、十二月頭までのロングランが決まった、とのこと。(おめでとうございます)

 この映画について、大川総裁が、映画公開前の10月11日佐世保南支部精舎、10月12日佐賀支部精舎の両日、解説講義をされている。

 この講義は映画について、という形を借りているが、論点は多彩で、

 「幸福実現党、はねかえされた最初の一鍬」
 「中川代議士はやっぱり自殺?」
 「オバマ大統領のノーベル賞受賞はいつ暗殺されてもおかしくないから」
 「生老病死の教えと蓮の花」
 「涅槃の仏陀」

 などが語られ、質疑応答も

 「総裁の今世の目標」
 「信仰者がビジネスパーソンとして成功するための方法」
 「悪霊をしりぞける、信仰の本義」

 などなど、かなり面白い。

 また、総裁の所持している、ご自著の書面も久々に拝見した。
 「仏陀再誕」の新装版である。
 総裁はいつも、講義される書籍を読み込み、付箋やラインをびっしりひかれてあるのだが、
 今回のテキスト「仏陀再誕」は、連続講義の初日には三カ所の付箋があったところ、二日目にはもう数カ所増えている。わざわざ幾度も読み込まれて講義を賜っているのだと思うと、本当に頭が垂れてしまう思いだ。
 そして、初日、総裁が演台で開かれた書面には、
 どうみても赤鉛筆でラインが引いてある。
 しかもびっしり。
 特に重要な単語や文章の部分は、赤鉛筆の濃度で調整している。
 これには驚いた。
 小生が以前、二十年ぐらい前に総裁の講義を、小さな(もと風呂屋だった二階建ての西荻の)会場の三列目ぐらいで聞いたときには、総裁が開いた書面は、蛍光のマーカーでびっしり埋め尽くされていた。
(ベッドに横になってマーカーを使うと、ベッドのシーツに蛍光マーカーがひっついたりするので、よく赤鉛筆を使っていた小生は「やはり机に向かってやらなければならないなあ」と思った記憶がある。)
 いずれにせよ、総裁のラインをひいたテキストというのは、とても勉強になることに代わりはない。どこが重要なのかはっきりわかるからである。
 ちなみに、今回、カメラに写ったそのページ、字組からp339だと思われるが、
 特に濃いラインは、
 「魂の後悔は止むことがない。」
 (信仰を失った者の魂の後悔は)
 「これほどまで苦しくはないと言わんばかりの苦しさである」
 「信仰を失ってはならない」

 のあたりに見える。

 しかし、この連続講義の内容において、古くからの会員諸氏にとってなにより衝撃だったのは、

大川総裁 「携帯版の『仏陀再誕』は、20年前に出した大型判のものに比べ、最近テープ起こしをもう一度再チェックした結果、七カ所ほど修正が入っております」
「今の編集局が緻密。テープ起こししたら七カ所、新たに発掘」
の部分。

 ええええーっ、そんなっ!!! と叫び出したくなった方は多いはず。
 ……なんでそんな本一冊で大げさな、とおっしゃる方もおられるかも知れないが、
 「仏陀再誕」 という書籍は、幸福の科学にとって、かなり重要度の高い書籍。
 詩編の形になっているが、これはまさしく
 「仏陀の霊言」
 であり、その後編書籍「永遠の仏陀」とともに、基本経典のかなり重要な一書である。
 ……後編の「永遠の仏陀」とあわせて、全文暗唱にトライした人も多い。(ですよね? 小生も小生の伴侶もやりましたよ)

 その教典が違っていたって!? もとの原稿起こしが?
 呆然と、「……一体どこが、どこが違っていたんですか」
 と内心でつぶやきながら、息をつめて画面を見ているところに、

 総裁「どこか探してみてください」と一言。

 ……ははーっ! 謹んで探させていただきます!
 ……ということで、今回の更新は、

 『新旧・「仏陀再誕」のまちがいさがし』
 です。(旧版、といっても、古いオレンジ色のほうではなくて、白いカバーの版のほう)

 ●7点の修正点

 ……ところが、修正点、といっても、変更になっているところはかなり多い。
 たとえば、いきなりタイトルに、英語が入っていて、海外のひとにもやさしい。
 そして、ページを開くと、全体的に、大変読みやすくなっている。(これは、幸福の科学経典について、どの書籍も再版されるごとにいえることなのだが)
 字の大きさ、間隔が携帯版ではとても目に優しい。
 また、ひらがなを漢字にしてある。(逆もあるが、ひらがなが漢字になっているほうが圧倒的に多い)
 「なんだ、読みやすくするなら漢字をひらがなにするんじゃないの?」 という声もありそうだけれど、漢字は、日本語の文章では一種の「飾り」であると同時に、一瞬でより意味をはっきり取ることができるので、ひらがなだけの文章より読みやすいものなのだ。
 そしてその漢字にもふりがながふってある。
 とどめは、八百円という廉価版……もう、これは絶対に買い。

 その中で、
 はっきりと「あ、文章自体が違っている!」とわかったところは六カ所。あとは句読点の位置が違う場所が一カ所。
 では、以下、検証してみましょう。

(1) 現成か、下生か

 旧版p23「この久遠の法は、仏陀が地上に下生しているかどうかを問わず、
        ↓
新版 p21「この久遠の法は、仏陀が地上に現成(げんじょう)しているかどうかを問わず、」

 (※伴侶解説「これは大きな違い。「下生」という単語は、、「弥勒菩薩の下生」などとよく使われる。
 けれど、「現成」だと「仏陀」しか考えられない。
 というか、「現成」という言葉で試しに検索をかけてみると、出てくるのは幸福の科学、あと道元の言葉ぐらい。
 ……それにしても、発音が全然違うよね」)

(2) 救うのは誰?

 旧版p75
「あなたが、苦難(くなん)の 荊(いばら)の道を歩む時に、
 あなたがたは、自分をどう救わねばならないかということで、心が躍起になっているであろう」
        ↓
新版p76
「あなたが、苦難(くなん)の 荊(いばら)の道を歩む時に、
 人びとは、あなたをどう救わねばならないかということで、心が躍起になっているであろう」

 (※ここは大きい! この改変によって、旧版の、
 「自分が自分を救おうと躍起になっている」
 という自己愛の文章が全く削られてしまう。
 そのかわりに、
 「周りの人達が苦しんでいる人をどう救おうとしているかに腐心している」
 という意味の表現が二つ続くことになる。 
 これを読んだときに、「あれ、文章的には前のほうが通りがいいような気がするなあ。新しい方は、苦難にあるときには、意外と自分で自分を救おうとは思わず、好きで不幸になっているのかなー」……みたいな意味を小生は感じたのだが、
 伴侶解説によると
 「前者の視点は小乗で終わっているが、変更後はその立脚点が大乗まで広がっている。
 とのこと。なるほど、自分を自分が救う、という観点から、ひたすら他人を救うという視点になっている訳か。深い。)

(3)つくる→引き入れる

旧版p118「(地獄の亡者たちは)
自らが助かろうとするのではなく、仲間を増やそうとする。
仲間をつくろうとする。」
        ↓
新版p122
「自らが助かろうとするのではなく、仲間を増やそうとする。
仲間に引き入れようとする。」

 (※この改変は、より具体的でわかりやすい。
 悪霊は、お仲間を、「引き入れる」形で作るのである。
 伴侶曰く「「不幸な人間を増やす」「足抜けさせない」というのが地獄霊の特徴。それがよく出ている」)

(4) 句読点の位置

旧版P198「(日本が先進国の先輩を追い越し、自らの力が上回ったことについて)
 驕り、高ぶってはならない」)
        ↓
新版p206「驕り高ぶってはならない。」

 (※「驕る」「高ぶる」の二つをならべるのと、「驕り高ぶる」は別の単語になってしまう。新版のほうが通りがよい)

(5)成長は肉体のみにあらず

旧版p207「肉体の成長がその山の頂(いただき)を極(きわ)めたところで、さしたることがあろうはずもない。」
        ↓
新版p215「成長の山の頂(いただき)を極(きわ)めたところで、さしたることがあろうはずもない。」

 (※ここ、やっぱり修正になりましたか! この部分は小生も旧版の時に引っかかった!
 「あれ。なんでここで『肉体』って限定してあるんだろうか」と不思議だった。だからこの修正は大変納得。
 伴侶曰く「この、「成長の山の頂」というのはなんだろうね。
 成長というのは人生の絶頂だろうか。この世的なる栄華だろうか。
 いずれにせよ、この世の成長=この世の栄光なんてものは、永遠の生命を与えられた仏子の人生の使命と目的(=仏と一体になること)から見れば、たいしたことではないんだという意味、かな。
 それにしても、全然意味が違ってくるね。なんでここ間違ったんだろう、旧版。
 テープ起こしした職員さん、よく聞き取れなくて推測で書いたのかな」)

(6)とは→は

旧版p309「求道(ぐどう)の者とは、そうした立場をわきまえなければならない。」
        ↓
新版p322「求道(ぐどう)の者は、そうした立場をわきまえなければならない。」

(※伴侶解説「この変更は大いに頷ける。
 この前の部分に書かれてあるのは、、「過去の偉人をどれだけ信仰しても、現成の仏陀に帰依しなければ意味がない」という内容であり、「求道の者はそうした立場をわきまえなければならない」と続く。
 しかし、ここで「求道の者『とは』」というと、結論を語るときの口調になってしまう。
 だが、「過去の偉人より、現成の仏陀」というのは、信仰の入り口であって、当然の前提にしか過ぎず、単に求道の出発点に過ぎない内容なので、ここで結論めいた「とは」という助詞を使うと、意味が重くなりすぎて、「信仰」というもののとらえ方が浅くなる感じがする。」
 ……そうですね。他団体ではこういう部分は重要かも知れないのだけれど、幸福の科学では入り口にしか過ぎないわけですから)

(7) 「ろんじゃ」か、「ろんしゃ」か

旧版p317「間違いたる唯物論者(ゆいぶつろんじゃ)となって生きたならば、」
        ↓
新版p330「最後の一年にのいて、間違(まちが)いたる唯物論者(ゆいぶつろんしゃ)となって生きたならば、」

 (※現代人にとってなじみがある言い回しは新版のほうですね。……小生は、旧版のような言い回しも使うのですが)

 以上、たぶんここが七カ所、というところだと思います。

 ほかの変更点としては、

●タイトル、まえがき、あとがきの修正。
「携帯版 仏陀再誕 THE REBIRTH OF BUDDHA 縁生の弟子たちへのメッセージ 大川隆法RYUHO OOKAWA」(←旧版「仏陀再誕  縁生の弟子たちへのメッセージ 大川隆法」)
●まえがきの多数の変更。
 「まえがき」←旧版「新版へのまえがき」
●改行位置の変更
●「幸福(こうふく)の科学総裁(かがくそうさい) 大川隆法(おおかわりゅうほう)」←旧版「幸福の科学主宰 大川隆法」(主宰とは……なつかしい!)

●あとがきも「あとがき(旧版)」が削除となり、「新版へのあとがき」が、「あとがき」へとなり、改行が増え、「幸福の科学主宰 大川隆法」から「幸福(こうふく)の科学総裁(かがくそうさい) 大川隆法(おおかわりゅうほう)」に修正されている。

●また巻末の「大川隆法(おおかわりゅうほう)先生ご紹介」が削除となり、幸福の科学の活動紹介の内容が変更となっている。

その他の変更点としては、
●漢字の変更が3点。

1.p142「怒りに対し、怒りをもって応(こた)えるようでは、」←旧版「答える」
2.p247「安らぎの世界のことを常(つね)に思い描(えが)いて日々を生きることだ。」←旧版「やすらぎの世界のことを常に想い描いて日々を生きることだ。」
3.p352「それは、仏の目によって、決して望ましいものとは見られない、」←旧版「仏の眼によって、決して望ましいものとは観られない、」

●送りがなを修正したもの6点。

1.p62「それを、己が手によって行(おこな)ったと思うな。」←旧版「行(おこ)なったと思うな。」
2.p64「表裏一体(ひょうりいったい)のごとく現(あらわ)れて」←旧版「表裏一体(ひょうりいったい)のごとく現われて」
3.p77「その謙虚さが他の人への行為となって現(あらわ)れてくるのだ。」←旧版「現われてくるのだ。」
4.p88「まっすぐ、まっすぐに水路をつくってゆかねばならない。」←旧版「作って」
5.p161「多くの者どもを幸せにすることのみを考えて、政(まつりごと)を行う時、」←旧版「行なうとき、」
6.p309「この高級霊が多様な姿(すがた)で現(あらわ)れることは、」←旧版「姿で現われることは、」

●改行の変更が3点。
1.p75「私は、そう思うのだ。」(一行改行)←旧版 改行無し
2.p87『「ばかなことをしている。』(改行あり)←『「ばかなことをしている。』(旧版 改行なし)
3.p350「あなたがたの家庭をユートピアにするのは、いったい誰(だれ)の力であるのか。」←旧版「あなたがたの家庭をユートピアにするのは、」改行を無くす。

●ひらがなと漢字の変換が41点。

1.p17「心を澄まして、真実の姿を観た時に、」←旧版「ときに」
2.p21「仏陀が地上を去った後も、」←旧版「のちも、」
3.p26「このように、仏・法・僧は、互いに」←旧版「たがいに」
4.p29「法というものを通して、つながっている間、」←旧版「つながているあいだ、」
5.p36「その心を統御しうるのは、統御し尽くせるのは、」←旧版「統御しつくせるのは、」
6.p37「統御し尽くすことのできない心は、」←旧版「統御しつくす」
7.p51「あなたがたと共に、」←旧版「あなたがたとともに、」
8.p57「あなたに必要な時に、必要なかたちにおいて与(あた)えられるのである。」←旧版「必要なときに、必要なかたちにおいて与えられる」
9.p62「この宇宙のなかには何一つないということを知れ。」←旧版「何ひとつない」
10.p65「縄が波を打つ時、」←旧版「縄が波を打つとき、」
11.p67「それは、すべての者を」←旧版「すべてのものを」
12.p68「これを中道の道というのだ。」←旧版「中道の道と言うのだ。」
13.p72「さすれば、今、苦境(くきょう)のなかにある時に、」←旧版「苦境のなかにあるときに、」
14.p75「何ゆえに中道の道があるか、あなたがたはほんとうに」←旧版「あなたがたは本当に」
15.p78「そう、自らの田畑に、数多くの実りをつくった者は、」←旧版「つくったものは、」
16.p81「中道(ちゅうどう)というものを考える時に、」←旧版「中道というものを考えるときに、」
18.p82「田畑が水を欲(ほっ)している時に、」←旧版「ときに、」
19.p86「この水路をつくっていく工事の途中で、」←旧版「作っていく」
20.p88「あるいは、あなたが偉大(いだい)なる理想を持っている時に、」←旧版「あなたが偉大なる理想を持っているときに、」
21.p91「それは、うまずたゆまず努力をし続けることを意味する。」←旧版「倦(う)まずたゆまず努力をしつづけることを」
22.p157「政治をどう捉(とら)えたらよいかが、」←旧版「政治をどうとらえたら」
23.p177「今、この時代に生まれ合わせて、」←旧版「いま、」
24.p178「多くの幸せを呼(よ)び込(こ)むことにある。」←旧版「呼びこむことにある。」
25.p186「それぞれが貴く、どれもなくてはならないものなのだ。」←旧版「どれも無くては」
26.p186「誰も彼もが鋸になろうとする。」←旧版「だれもかれもが」
27.p197「何事も、やりすぎてはならない。」←旧版「なにごとも、」
28.p199「共に、両極端にならず中道に入(い)るための方法である。」←旧版「ともに、両極端にならず中道に入るための方法である。」
29.P204「それを考え違(ちが)いし、」←旧版「それを考えちがいし、」
30.p230「あった。街のなかを歩いていても、誰(だれ)も彼もその大男の顔を見ては恐(おそ)れお」←旧版「あった。街のなかを歩いていても、だれもかれもその大男の顔を見ては」
31.p235「オロと家のなかにこもっていた。今日(きょう)は、どこに被害が出るか、誰も怪(け」←旧版「オロオロと家のなかにこもっていた。今日(きょう)は、どこに被害が出るか、だれも怪(け」
32.p238「「そうか、この大男は何一ついいところはないと思ったが、音楽を解(かい)する」←旧版「この大男は何ひとつ」
33.p246「あるいは、共に相和(あいわ)し、共に協力し合い、」←旧版「ともに相和(あいわ)し、ともに協力し合い、」
34.p262「その時に、私もまたおまえたちと共に、悩み、苦しんでいると思え。」←旧版「私もまたおまえたちとともに、」
35.p265「そんなことで、何ゆえに人間の尊さというものがあるのだろうか。」←旧版「なにゆえに」
36.p311「これらの神々ともいわれる高級霊たちが、」←旧版「これらの神々とも言われる」
37.p312「この地上においても、身分が違う者であるならば、」←旧版「違うもの」
38.p320「三位一体にして、共に尊き存在である。」←旧版「ともに尊き」
39.p343「真の教養人がちに溢(あふ)れて、」←旧版「あふれて」
40.p350「まず、自らの住む場所を、自らのいる場所を、」←旧版「自らの居(い)る場所を、」
41.p352「夫ある者であれば夫を大切にし、」←旧版「夫あるもの」

●ふりがなをつけたものが13点。

1.p44「あなたがたは、正しい道に入(はい)らねばならない。」←旧版 ふりがな無し
2.p51「我(われ)に従(したが)い来(こ)よ」←旧版「我に従い来(こ)よ」
3.p70「まもなく黄金の道に入(はいる)る準備(じゅんび)を」←旧版 ふりがな無し
4.p74「こうして中道(ちゅうどう)の道に入(い)る時に、」←旧版「こうして中道の道に入(い)るときに、」
5.p75「そして、あなたが苦難(くなん)の荊(いばら)の道を」←旧版「苦難の荊(いばら)の道を」
6.p79「諸々(もろもろ)の比丘(びく)、比丘尼(びくに)たちよ、」←旧版 ふりがな無し
7.p80「しかし、この水路から、まわりの田に、畑に、水が供給(きょうゆう)されてゆく、」←旧版 ふりがな無し
8.P204「はじめて素晴らしい国際経済(けいざい)の現出(げんしゅつ)が、そこにあるのだ。」←旧版「国際経済の現出(げんしゅつ)が、
9.p215「人生を早く行き過(す)ぎることを目標とはしていないということだ。」←旧版ふりがな無し
10.p225「実は他(た)の人びとの頭の上を押(お)し付けた成功であるということなのだ。」←旧版ふりがな無し
11.p226「しかし、万一(まんいつ)もし、あなたがたの成功を妬む者が」←旧版ふりがな無し
12.p311「たとえ地上にどのような知恵者(ちえしゃ)がいたとしても、」←旧版ふりがな無し
13.p338「たとえ地上にありて、鋸(のこぎり)にて身体(しんたい)を引き裂(さ)かれようとも、」←旧版「鋸(のこぎり)にて身体を引き裂(さ)かれようとも、」

 以上です。
 抽出作業は伴侶が協力してくださり、かつ、上記・修正箇所の記載は伴侶が全面的にやってくれました。伴侶に合掌する小生です。

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