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映画 仏陀再誕 感想レビュー(4)三石琴乃さんの快演 / 作画の悪い理由

 『弟の入院している父親の病院に見舞いに来たヒロイン。
 病院は霊が大勢いて、あてられてしまう。
 そこへ輝く人たちが入ってきたため、霊は逃げ去っていく。』

 
 病院は霊がうじゃうじゃいて見ているこっちまで気分が悪くなりそうだ。
 この病院の霊人さんたちの言うことがものすごく真に迫っている。
 「私のベッドに誰かが寝ているんだ」「もう一度だけ診察して下さい」「私にも新しいクスリを頂戴」「オレの腎臓を返せ」
 わーはははは、すごいなおい!(←引きつり笑いする小生)
 この場面にはこの映画屈指のリアリズムを感じる。
 冒頭の町のシーンといい、霊能のある人がアドバイザーでついているとここまでリアルになるのか。
 病院という場所が居るだけで疲れる理由がここにある。まるで墓場なみだな。病院での怪談は多いが、これだけ多ければ霊体験も起きるわなあ。お医者や看護婦はよく働いていられると感心する。
 唯物論者でなければやっていられないわけだ。だが、唯物論者が瀕死の人たちの相手をすると、引導が渡せないわけだから、こうした人たちはますます量産されていく。悪循環が起きるわけだな。

 『病院の入り口から入ってくるのは、外国人の兄さんと、一人の女性。
 霊達は彼らの放つ光の強さに逃げ去ってしまう。』

 ここで、霊がいっせいに逃げるというのは意外。
 映画の演出上、うまいことはうまいのだが、現実には、逆に救われたくて寄ってくるというケースを聞くので、そのへんどうなのかな、と思ったりした。

 『女優さんはヒロインのあこがれのまと、木村真理。
 ヒロインが声なき声でぴょんぴょんと跳ねるの図がかわいらしい。
 さらに、こそこそ柱のかげにかくれている茶髪の彼氏。なぜ隠れる(笑)』

 さて、ここで金髪の外人訛りまるだしの長身お人好しキャラを投入したのも、飽きさせないうまい工夫。オーストラリアからの留学生というのも野趣あふれる感じ。
 劇中で、お客から見て想像のつくような平凡な台詞を言わせるキャラクターには、びっくりするような特徴があったほうが良い。
 隠れている彼氏を子供のように持ち上げて連れてくるのも笑いどころ。良いキャラクター作りましたね、スタッフ。

 なお、伴侶は「金髪外人くんがヒロインに抱きついた状態で、滞空時間が異様に長いのは、異常じゃないの?」と思ったそうですが、小生は単に、オーバーアクションを示すギャグ演出と思った。
 
 そして出ました、三石琴乃さん、ご苦労さまっス!

 三石さんは、もう、新世紀エヴァンゲリオンで演じた「ミサトさん」という大人の女性そのまんまの声で、声を聞くだにかなり感動して、最後までずっと感動しっぱなしだった。

 三石琴乃さんの登場で、映画の疵(きず)はこの人のお芝居でかなりカバーされていたような感じがするのは小生が単にこの人の声が好きだからそう聞こえる、というだけではあるまい。

 事実、この人の演技力はすさまじい。
 『セーラームーン』の月野うさぎ役は言うまでもなく、もうこの十数年、ナレーションからいたるところで声を耳にする名脇役である。
 特に、「おるちゅばんエビちゅ」という庵野作品での怪演はすさまじかった。
 物語はOLに千円で飼われてきた愛らしいハムスター「エビちゅ」が、懸命に家事全般をこなし、ご主人ちゃまの幸せを願って活躍せんとする日々を描いた四コマ漫画のアニメ化。
 一見ほのぼのアニメのようだが、OLの「ご主人ちゃま」と、彼氏の「かいしょなち(甲斐性なしの意)」の生活が赤裸々に描かれ、オチのほとんどが放送禁止用語 (しかもそれらの単語は三石さんがハムスターのかわいい声で絶叫することが圧倒的に多い)。
 当方、視聴すると、なぜかあたかも吸血鬼に血を吸われたようにがっくり疲れたのを覚えている。この年齢でもう一度見ろと言われたら翌日の仕事に差し支えそうだ。
 そんなとんでもないエビちゅ役を、三石さんは志願して、完璧に演じてのけた。
 普段は大人の女性を演じながら、こういう怪演ができる声優さんがいかに凄い実力を持っているかは想像に難くない。
 その実力、本作でも思い切り発揮してくれているのではないか。
 しかも、どうも、下手をすると、仏陀というつかみづらい役を演じた子安さんよりも、台詞を理解しておられるのではないかという感じの場面があった。
 よくぞこの役をやってくださったと、感謝にたえない。

 『弟クンの見舞いの後、一同は喫茶店らしき場所で話し合いをする。
 女優さんは「空野太陽」という人が、本物の再誕の仏陀であり、自分がいかにして信者になったかを語る。
 いっぽう、暗い病院で、自分の無力に悩むお父さん。』

 ついに子安さんも登場!
 しかし、顔や姿は映さず、ポスターや前売りに使われているあの闇の中の佇む姿である。いい登場の仕方だ。

 ここで、なにがうまいといって、三石琴乃さんの一人語りがうまい。
 はじめて「空野先生」という言葉を出した台詞の
声だけで、ものすごい憧憬が感じられる。

 ふつう、善玉サイドで説明シーンを描くと映画はがくっとつまらないものになりがちだ。
 とくに善と悪との戦いで善側を描いたシーンは、行動がだいたい読めてしまうし、常識的になってしまうので今ひとつ魅力に欠けがちになる。物語を書くなら、悪のほうが面白いのだ。魔界ものや悪漢ものが人気のあるゆえんである。

 だが、この映画は、善玉サイドを描いたシーンは上記したとおり、三石さんはじめ、声優陣の芝居にうまく支えられている感じがする。
 
 ただし、その三石さんの演技をもってしても、この場面には、シナリオ的にちょっと残念かな、と言う部分があるように思う。

 それは、「荒井氏が、女優さんを成功させるためにやらせたことがいかに悪どかったか」と言うことについて具体的な事象がなかったために、説得力が弱かったところかな、という部分である。ちょっと絵面を見ていてもわかりづらい。
 荒井氏、どこがそんなに悪いことをしたの? という感じだった。
 TISの説明もさらっとしていて「あれ、そんなでいいのか」という感じだった。後で出てくるのかなと思いきや、そうしたシーンもなかったので、ちょっと足りないかな、という印象。

 それをのぞけば、この場面もすんなり見ることができる。

 ヒロインの尊敬する女優さんで、社会的に信用も実績もある人の登場と説明で、空野氏に対してすんなりヒロインも信用することができた、という流れは自然。 (まあ、現実の伝道でもこんな風に日頃の実績や人間的な信用がものをいうわけである。)
 また、 「自分を責めないでね」という外人くんの台詞で、あ、ヒロインは自責の念で苦しんでいたのね、ということが示される。(ちょっとテンポが速くてヒロインの自責の念がわかりづらかった)
 さらに、女優さんが、 「勇気が説明していると思うけど」というが、まるっきり全然、彼氏は説明なんかしていないというところが笑える。
 ここで、ようやくヒロインは信頼に足る人たちにめぐりあい、前途に光明が見えてきはじめる。

 ただし、一点、ここで「空野先生は再誕の仏陀」と断言させてしまったこととに関して、小生は
 「うーん、そうかあ、ここで言わせちゃったかあ……」
 と、ちょっと残念な感じがした。

 せっかくうまい脚本の力でここまで物語に入り込んでいたお客の中でも、この一言で、幸福の科学の映画だぞ、だまされるなよ、と思っている一般客、特にアンチの人たちは、「そーら来たぞ、やっばりな」と白けた人もいたのではないか。

 じつは、これを防ぐために、脚本はちょっとした技術を使うことも出来た。
 たとえば、映画の最後の最後、ヒロインがドーム球場で悪魔に打ち克って叫ぶまで、キャラクター達には一切 「空野氏が仏陀だ」 ということを言葉では明言させない、という手だ。
 女優さんの台詞も 「私達が再誕の仏陀だと信じている人よ」 ぐらいに弱めておく。
 そして、空野氏の登場の一瞬に、オーバーラップして仏陀の姿を明滅させたりして、視聴者に「この人が本物の仏陀だ」と、示し続けるという手である。
 そうすることで、お客は、「自分たちだけがわかっている」と思うことができ、最後の悟りを得るまで沈黙する本物に対し、悪玉ばかりが口が上手く人々に喧伝していくもどかしさを味わって、最後に思い切りカタルシスを味わう、という手である。

 だが、スタッフは、今回、その手法をとらなかった。
 そこが、この団体の愛すべき正直なところというか、宗教映画の正直さというか、まっとうに早く信仰告白したくてならない「男らしさ」みたいなものを感じる。
 それらを感じつつも、やはりちょっと残念だったので、ここに書いておきました。

 なお、ここでの空野氏の説法内容は、「成功することで心が乱れ、執着が増えるのは本当の成功ではない。」という説法。世の中のほとんどの成功は成功ではないわけだ。
 自己実現などの書籍では、荒井氏の言っていることが正しい、というだろう。
 しかし、空野氏のいうことは正統派の宗教者の言葉なのである。
 この女優さんは、他を省みない自己実現で失敗して、何も残らなくなったときに、これらの言葉が激しく深く心にしみた、というお話である。

 さて、映画もだいたい前半三分の一が終わるくらいにさしかかった。
 ここまでで、残念ながら、「これは逃れられないマイナス評価」だと思われる部分があるので上げておく。
 それは、「作画がかなり乱れている」、ということだ。
 ヒロインの髪型などは、かなりわさわさとしてうっとうしい絵になってしまうシーンが多かったし、ヒロインの等身、スカートから伸びる足もちょっとおかしいシーンが目についた。
 役者が立っているのを映せばシーンになる実写と違って、ここがアニメの辛いところだ。
 さらにテレビ版と違って劇場版は画面が巨大なので、そのぶんアラも目につく。
 じつは、もともと幸福の科学のアニメ映画は作画が悪い。
 1997年公開、第一作目の「ヘルメス-愛は風の如く」では、ヘルメス登場のアップがいきなり崩れているように見えて愕然とした記憶がある。
 宗教団体らしく「中身で勝負だから見た目は二の次」で良いと思っているのかも知れないが、どっこい、作画や動きが良いと、アニメファンはそれだけで点数を甘くしてくれるのだ。
 ただし、攻殻機動隊テレビシリーズのように、作画が結構荒れる回があっても、練りに練り込んだシナリオがあれば凄い作品として評価されることもあるのだが。

 ともあれ、今回、作画が悪い理由は、作品途中で大幅な変更がなされ、時間がなかったためだと思われる。
 作画や動画スタッフには誠に気の毒だった。
 その変更というのは、宏洋さんが、今回のシナリオを出してきたことにあったらしい。
 小生が聞くところによれば、「幸福の科学の映画はつまらない」と父親の大川総裁にタンカをきった宏洋さん、「じゃ、お前が書いてごらん」という総裁の一声に、短時間でこの作品のシナリオを書き上げたのが、このシナリオだという。

 ……それらの事情を考えると、おそるべき才能であるといえる。

 だが、残念ながら、そのシナリオができたのは、かなり映画のプロジェクトが進んだあとだったと聞く。
 予定されていた半分ぐらいのスケジュールで、しかももう一度最初から、作り直しを余儀なくされた現場の混乱は想像に難くない。
 よく無事に仕上がったものだ。

 というわけで、 作画については今後に期待したい。

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