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10月4日「目覚めたる者となるためには」……横浜アリーナでの壮絶な「魔切り」

 十月四日、日曜午後。
 中継を、支部精舎で聞く。
 画面にうつる横浜アリーナの一階は満席のように見える。珍しいことに、講演の前に三十分程度の映画のイベントがあったようだ。
 悠然と舞台左端から現れた総裁は、なんと、 
 演壇に立つや、いきなり合掌、一礼。
 「諸々の比丘・比丘尼たちよ……」と語り出した。
 ええっ!? と息を呑む。
 この出だしからはじまる講演を最後に聞いたのは何時だっただろうか。
 ……出てきた、と思った。
 ふたたび、仏陀意識が人びとの前に出てきたのだ。
 グレーのスーツに金の袈裟とネクタイの姿で、圧倒的な格調とともに語り出された姿を見た瞬間、胸に訪れた第一印象は、
 「総裁は年を取られないのか!!」
 ということであった。
 講義の内容、口調、声、しぐさ、そのすべてが二十数年前のままだ。
 ……懐かしい。
 古い会員は、二十数年前に全員ふきとばされたと思ったに違いない。
 タイムスリップというよりは、時間が巻戻って自分たちも若返り、二十数年前の大会場の座席に座っている感覚。
 あたかも「霊界にあっては時間というものが意味をなさないのだ」という強烈で異様な感覚を味わう。
 その総裁の口から出る内容は、宗教家として王道中の王道、仏陀の教義そのものであった。
 あの頃の続編のように語られる、「天国・地獄論」、「信仰論」、「伝道の号令」と、どれも幾度も聞いたはずなのに、かえってあの頃よりも重く、胸にずしりずしりと激しく応える。
 あのころの東京ドームでは、いつもこんな講義を聴衆にされていた。聴衆は、皆、総裁の、命をちぎりとってたたきつけるが如き法話を毎回聞いて、熱い涙を流していた。
 言葉が重い。
 まことに、その一時、私達は二十年の歳月を一気に飛び越していた。
 これほど激しい迫力を、我々聴衆は二十数年も封じていたのかと思うと、正直やや辛い。

 中でも、
 「あなた方が強くならなければ、私は本来の仕事が、まだ果たせないではないか。」 という一節。
 書籍 仏陀再誕の冒頭に出てくる
 「あなたがたが眠っていては、私は本来の仕事ができないではないか。」 を思い出させる。
 これまで、ひたすら聴衆をほめる講義ばかりをしてきた総裁が、こういう物言いを二十数年ぶりに復活させたのは、印象的であった。
 裾野が広がったために、総裁は、講演の中では厳しいことを絶えて言われなくなったが、こうしふ物言いが復活したと言うことは、はたして弟子達は、少しは水準があがったのだろうか。

 それにしても、久々の仏陀の降臨は、映画「仏陀再誕」に合わせてのことだろう。
 どことなく、映画の中に出てくるという救世主「空野太陽」氏の説法、という印象もある。
 映画を見て興味を持った人たちが、一番直近の総裁の法話を聞こう、として支部に来て聞いてもなんら違和感なく聞くことができるのではないか。
 激しい講演を終え、最後に大きく手を振って「ありがとう」と言い放ち、颯爽と舞台袖に歩みながら、もう一度手をふって応えるその姿に、いつも伝道の時節が来ると、そうであるように、今回もまた総裁は率先して自らが伝道に立たれたのだと思う。

 さらに、小生、もう一点、この講演に関して、かなり気になったことがあるので書いておく。
 それは、この激しさは「魔切り」の激しさでは無かろうか、ということなのだ。
 正直、講演を聴きながら、腑に落ちなかったことがある。
 それは、いま、選挙の終わったこの時期に、この激しい講演を行わねばならない意図は何だろうか、ということであった。
 直接仏陀を降臨させるこのスタイルは、総裁の体力の消耗が尋常ではないはずだ。一週間は寝込まれるのではないかという講演を、なぜ、いまする必要があるのか。
 帰りの車の中で、「釈尊とはこんな激しい講義をする人だっただろうか」、と自問し、一つ一つ、総裁の「釈尊の意識による講演」を振り返る。
 すると、「確かにこのように前々から激しかった」、と思いつつも、一つ思い出したのが「反省の原理」という講演会である。
 幸福の科学が発足してまもなくのこと、あれも激しい講演だった。
 聴衆はお金を払って聞きに言って、すさまじく怒られているという実感があった。
 しかし、ライブで聞き終わった後、体が軽くなった人たちが大勢いたという話であり、実は小生もその一人だった。
 あれは「魔切り」「憑きもの落とし」の講演会だったのだ。
 今回もまたなぜかあのときを彷彿とさせる。
 選挙の街宣にて人びとや世間に対するための戦いの姿とは違う。微塵も妥協を許さぬような口調であった。
 「魔切り」のための講演と考えると、あの激しさはしっくり来る。
 魔切りの時には躊躇してはならない。宗教家として、不可視な悪を100パーセント否定しなければ、魔切りは成功しない。
 講演の中でも、はっきり「積極的な魔」について詳述されていた。
 こうした時には、現在総裁が霊的に交戦中であることを暗に示していることがある。 
 小生には、客観的な姿から推測するしかないのであるが、どうも今回もそうした事情で、戦っている真っ最中はないか、という感じがびしびしとする。(しかも、超大物クラスと)
 同時に気になったのが、総裁ご自身の体調である。
 以前、この世ならざる戦いの際の消耗は、かなり激しいものなのだという話を聞いたことがある。
 演壇のお姿は、ウェーブのついた髪型等、念入りにメイクされているのがわかるが、それでも決死の相が再び現れているように感じる。
 やはり、人知れず、不可視の敵と水面下で火花を散らしているのではないか。
 異変に気付いた会員諸氏はすでに、映画の成功ばかりではなく、総裁の身に直接降魔や治癒を祈っていることだろう。
 
 そういえば支部でも、少々妙な話を耳にする。
 たとえば、選挙の際には、テレビや新聞は、各社、現場があちこちで記事にしようとしたのを、各社のトップにすべてつぶされたという話。
 いくつかのマスコミの中では「あれはおかしかったのではないか」という批判の声も上がっているそうだが、各社トップはがんとして聞かないという。
 公平を旨として、叩くにしても一通りは報道するはずのマスコミが、今回の行動はなにやら憑きものにでもあっているのではないかと言われれば、そんな感じを受けなくもない。幸福実現党が気に入らなければ、もっと別な戦い方があったはずなのだ。
 また、ここに来て、幸福の科学の地方でも、「不自然な苦戦」が起きているという話を聞く。
 映画の上映を十七日に控えて、好事魔多し、魔が競い立つ、ということかもしれない。確かに、映画上映という形で、正統派の宗教思想の大宣伝をされたら、核爆弾をあちこちで落とされるようなものであり、居心地が悪くてたまらぬものたちも数多いだろうから、躍起になって邪魔が入ることも想像に難くない。

 しかし、この団体にとって光明だなあと思うのは、講演会が終わってから、青年部や学生部ががぜん元気に活動しているのを見かけることである。
 ……そうか、彼らはこうした講演をライブで聴くのははじめてだったな、と思う。
 見ているとあの頃の聴衆が味わったと同じ感動と熱意が、彼らの中に継がれているのが心楽しく、自分たちの姿を、彼らの中に二重写しに見ている気がする。
 この団体はまだまだ発展の余地があるな、と思う瞬間である。

 
 なお、マスコミで思い出したが、桜チャンネルに経営不振の噂ありとのこと。
 なるほど、以前、幸福実現党と討論会と称して、あきれかえるようなワンサイドの自己主張をして見た人を唖然とさせ、さらにそれを幾度も幾度も宣伝していたが、どうやらあれは、幸福実現党を利用して巻き返しを図ったものではなかったのであろうか。
 今の内に「大道無門」や「田母神塾」など、見れる方は見ておいたほうがよいかも知れない。
 しかし、桜チャンネルはともかく、大手のマスコミもかなり経営がふるわなくなっているはずである。
 自分たちがつぶれはじめてから、ようやく民主党に政権交代させたキャンペーンが間違っていたのではないかと気づきはじめるのではないか。 

 最後にもう一点、少し古いですが元気なドクター中松氏のニュース。
 「幸福実現党特別代表に聞く」http://news.livedoor.com/article/detail/4372293/
http://news.livedoor.com/article/detail/4375114/
 面白い話がぎっしりつまっていますので、まだの方はぜひご一読を。
 なにより、中松氏の『バカと天才は紙二重』(2008年刊)に、「小池百合子防衛相が“はしだて”という自衛艦に私を呼んで、守屋武昌事務次官(当時)と並んで、ミサイルUターンに予算をつけると言ったこともあり」
 という話に驚いた。
 あれ、前から国か本格的に研究予算をつけようとしていたものだったんですか!
 中松氏が日本のクリスチャン・サイエンスの先駆けだったというのにも驚いた。、センス良すぎです。ものすごく長生きしていただきたいお人である。 

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