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大川総裁の二本の新作講義 初見感想~ 「遠い夜明け」と「亀のブローチ」

  この九月上旬、大川隆法総裁の二本の対照的な講義が公開された。
 一つは、オレンジ系のスーツで亀のブローチをつけ、会員さん達を湧かせた9月13日 「伝道の基本」(相模原支部)。
 もう一つは漆黒のスーツで重々しく語った、9月16日「国難選挙と逆転思考」(総合本部)。

 二つの法話に共通する印象は、
「国を救ったエレミア (旧約聖書の預言者で、国難の予言をし、国を救ったが、結果として予言が外れたため迫害された)のその後」 とでも言ったらいいのか。
 この国に、長い冬が訪れるかも知れない、という厳しい予感である。

 まず、順番が逆になるが、漆黒のスーツで重々しく語った、9月16日「国難選挙と逆転思考」
 小生の耳には、戦いが終わって、民主党に対して穏やかな物言いをしつつも、
 大川総裁「どちらに転ぶかわからず、マスコミはじっと民主党政権を見守っている。同時に幸福実現党の言ったことが正しかったかどうかをも見守っている」(要約 小生)というような単語が残った。
 総裁は、終始、混沌とした未来を見つめるかのような静やかな話し方をしておいでだった。
 その霊眼にはさまざまな未来が、まだはっきり決まらずに見えているかのようだ。

 だが、小生の伴侶がこの講義を聴いて感じるのは、
総裁は現在、混沌の未来の中から、 強い可能性として、「民主党政権の長期化の芽が出てきた」という辛い事実が立ち上がってくるのを、捉えているのではないか 、ということだそうである。

 それを裏付けるように、つい先頃も、福祉のバラマキをするという記事が新聞に載っていた。
 公共事業費を削って弱者に対するバラマキにつぐバラマキを行う。
 まさに左翼文化人が望む正義であり、理想の政治ではないか。
 財源は赤字国債の大量発行をして、自分の政権の時に問題にならぬよう逃げおおせれば良いだけである。
 マスコミが、海外からの呆れ気味の報道や、財源がピンチであるという事実を、ひた隠しに隠せば、安穏とこの国の人びとは民主党を支持するだろう。
 残念な話だが、この国の人びとの村社会的な心情に、左翼的な考え方はマッチしているのかもしれないと思う。
 大川総裁は
 「こういうときに(幸福の科学や幸福実現党にとって)一番賢いのは黙っていること」(要約 小生) 
 だという。天下を取った左翼政府と左翼マスコミの迫害をやりすごすためだ。
 そして、
 大川総裁 「日本の民主党人気はオバマ人気と連動しているので、オバマの凋落と日本民主党の人気のかげりを待って、批判するのがよい」(要約 小生)
 という。
 しかし、である。総裁はここで
 「それでもどうしても、国が間違った方向にいくことがあれば、(上記の事情を無視してでも、)言わねばならないことは言う」(要約 小生)
 というような内容の事を言われている。
 黙っていられないのだ。
 再び、総裁は立ち上がるかも知れないという。
 その結果、どうなるか。
 民主に瑕瑾があると思わないマスコミや大衆が、その政府を批判する幸福の科学と幸福実現党に対する風当たりを強めてくることは大いに考えられる。
  あくまで可能性ではあるが、そうしたビジョンも総裁は見すえている。

 そして、それを下敷きとした上で、この団体の未来について、大川総裁が思っている戦略が、その少し前に公開された
9月13日 「伝道の基本」相模原支部で強調した
 「亀のごとく」
 である、と考えると、二つの講義はつながってくる。
 この講義で総裁は
 大川総裁「甘い甘い伝道をしてはいけないなあと。内部的な問題だけで数字合わせだとか、名前だけの伝道とか、「ちょっと名前、貸してよ」みたいな伝道をしたって無駄だっていうことはわかったと思う」(要約 小生)
  という、数あわせの好きな推進やら一部の本部長支部長らにとってかなり耳が痛いであろう事を言い、
大川総裁 「基本に戻って伝道、きちっと、きちっと信仰心に基づく伝道をして、本物の信者を確保する事が大事であるということ」(要約 小生)
 と話し、そのたとえとして、「亀の如く」 が、くる。
 懐かしい単語だ。
 発足当時、我々はよくこの単語が総裁の口から出るのを聞いた。
 しかし、二十数年たってから、再び亀の如く、という単語を口にされた真意は、
 一つには、総裁はもう一度、一から、現場に入って、一から団体を組み直す決意とも聞こえる。
 総裁から見て、まだまだ現場には不安が残るのだ。
 さらにもう一つの意味として、「亀」の特徴とは何か。
 大川総裁「亀は強いですよ。
 結構、強い。
 危なくなったら甲羅の中に、入って頑張ってますからね。
 だから攻めだけでなく守りも強くなければいけない。
 一歩、一歩、進めていくと。守りながら一歩、一歩、進めていくと言うこと」(要約 小生)

 小生は、当初、これは各個人の問題について語っておられるのではないかと思っていた。
 しかし、伴侶の意見はもっと深かった。
 小生の伴侶いわく、
 「あのブローチの意味は、結構深いんじゃないかと思う。先生は、何も言わず明るい話でみんなを湧かせながら、内心ではこう言っておられるように感じられた。
  『この先、なにがあっても、私が、あなたがたを守ってみせる』
 と。」

 ……夜明けは遠いのか。
 分水嶺に立っている時代の未来が、少しでもよいほうに転がっていって欲しいと祈るしかない。

 
 ……さて。
 今回は、タイトルにないお話を一つ。
 党首が、またまた交代になった。
 本地川さんが九州福岡の正心館に行ったようであるが、どうも「温存」という感じのする転勤である。
 では、次に党首になった木村さんという方はどういう人か。
 ちょっと調べても
 「58年生まれ、京都大学法学部 卒業、元理事長」
 という以外、なにもわからない。
 そうだろうなァ、と小生は、ため息をついた。
 実はこの人は、幸福の科学の職員になって以来、ずっと、かなり内部の部署につとめていたからである。
 前職の国際局長になる前は、講義などで外を回ったことがないようだ。
 職員さんにも知らない人が多いのではないだろうか。
 小生たちもこの人の顔を見たことはない。
 しかし、わずかに話を聞いたことがある。
 たとえば、京都に育って、ちっちゃい頃から兄弟とお手々つないでお寺めぐりするのが大好きな少年だった、とか。(←小生はまずここで驚いた。そんなちっちゃい子……たぶん小学生だろう……いるんですか! 小生も若いころ、地元の寺巡りが好きでやっていたが、それをしていたのは高校になってからでしたぞ! よほど仏縁の深い方なんだろうなあ)
 長じて勉強がめきめきできるようになり、京都大学、法学部を出る秀才であったが、金融機関でニューヨークに勤務。三十前後ぐらいか、幸福の科学の職員になる。
 だが、その金融機関時代の話が凄くて、
 「勤めているときは、王族とか御曹司とかが仕事で友達になり、遊びに来ないかと言うんだけど、遊びに行くと今度はこっちも呼ばなきゃいけないから(笑)。行かなかった」
 という話を人づてに聞いたことがあるのだ。
 ……ちょっと待った。
 金融機関で、人の集まるニューヨークで、セレブとつきあいのある仕事してたって、凄い要職でしょうが、それ! 三十歳前後だったっていうのに、一体どんだけ切れ者なんですか!
 なんか、総裁先生のニューヨーク時代のことを思い出すエピソード。
 その後、(ニューヨークの支部長もやったのか?)日本に戻ってからは上記したとおり。
 今年の三月には、国際局にいて、大悟祭の日、インドに行ったことが、幸福の科学中野支部さんのブログで紹介されているのを見たことがある。

 思うに、この人もやはり、かなりの年月、総裁のもとで「温存」されてきた人のように感じられる。あまり騒がず、静かに見守りたいと思っている小生でありました。

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