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総裁講義「This world is not enough」(1) 「この世 未(いま)だし」

 総裁講義「This world is not enough」が支部で公開になった。
 登場したのは、黒と見まごう濃い茶色のスーツに身をつつんだ総裁。
小生は、伴侶と見に行った。
 さまざまな思いをよぎらせながら、四十分ほどの短めの英語の講義が終わる。
 小生の伴侶は、見終わった後、開口一番、
 「先生、体調が回復されていない」
 「二日前に収録された、日本語の講義と比べて、ずっとお辛そうだ」 
 と言った。
 なるほど。
 ……確かに、総裁があまり体調の良くないときには、講義中に、ちょっとした動作のクセがあるように思う。
 それが頻繁に出ていた感がある。
 さらに、伴侶いわく
 「講義の前半、言葉を選ばれるのに時間をかなりかけておられた。」
 ……やはり、体の調子がお悪いのだろうかと思う。
 前々日の、渡邉理事長の挨拶で、
 『総裁の活動に関し「天上界からのストップがかかった」』という話があったが、それが裏付けられたようなお姿にも見えた。
 幸福実現党、次回に向けて、当面は「臥竜の構え」で縮小もあるやもしれぬと感じる。 

 しかし、そのような体調であるにも関わらず、なんと総裁、映画公開の十月頭に若い方向けの講義を大会場でされる、という。
 この二年ほど、毎度毎度お悪い体を正して、講義されるという話を毎回のように聞いては、切なくなるが、この一年ほどは若い人のための法話をする事が多い。
 総裁は、こんなお体でも若い方にメッセージを送りたいのだ。
 総裁は本当に若い人たちを愛しておられるのだ、と思う。
 昔からそうだった。
 若い人というのは、何時の時代も、不安で、悩み多く、人から評価などされず、しかし未来への可能性を全員が抱えている。
 そんな時節を過ごす人たちに、「あなた方がこの国の希望なのだ」と伝えて励ましたいお気持ちを強く持っている気がする。

 せめて、その日までにはもう一つも講義を入れず静養されて欲しいと切に願う小生達であった。

 さて、講義は、おおむね今までの街宣などでも語られていた内容を、海外向けに整理したもののように思われる。
 綺麗に整理されていて、総括として大変わかりやすい。
 英語はいつものように、中学三年程度プラス特殊な用語を覚えておくと、だいたい我々でも聞き取れる、とても平易な英語を使っておられる。
 にもかかわらず、胸に来る。
 この現象については、総裁が「知の原理」という講義で、「二千語程度の語句で人の心をゆさぶる話を書いたオスカー・ワイルド」「英語のやまとことば」を使う人だった と話しておいでだった。
 要は、総裁の英語もまた同じ域で、シンプルで簡単だが、とてもずしり、とくる内容なのだと痛感した。

 講義の中で、印象的だったのは、タイトルについて。
 「This world is not enough」という言葉に、
 「この世 未(いま)だし」
 という和訳がついていたことだった。
 小生が「をを!」とおもったのは、この「未だし」という単語についてである。
 「未だし」とは、「いまだ」という副詞を形容詞化したもので、「まだまだ」「未熟である」などという意味のはず。
 いまでは少し古めかしい言い方であると思うが、そこが格調を感じさせて胸にしみた。(聖書なども英語だと古い言い回しのまま使ったりするのを見かける)
 「欠けている」「いたらない」「未熟である」という意味なのだが、同じ意味でも、特に、この「未(いま)だし」の未だには、「未来」の「未」が使われている。
 この言葉には未来があるのだ。
 この言葉には、限りなく未熟なこの世界を見て、「あ、こりゃだめだ」「こんな世界は悪だ。未来なんてあるものか」とあっさり見捨てて投げてしまわずに、「未(いま)だし」……すなわち「あなた方はまだ、未熟なのだよ」と、言って、向上の道を示してくれる愛の深い存在の目を感じるのだ。
 翻訳の妙だなあ、と、非常に感心いたしました。
 それにしても、日本の政治全般に関して、現代で、「未(いま)だし」と言える人が何人いるか。
 しかも、「いまだし」と嘆くばかりではなく、総裁はどことどこを押さえれば未熟から一歩抜け出せるのかを明確に出している。
 講義の中では、神の視座、という点も強調しておられたが、そうした言葉がしみじみと感じられる講義に思われた。

 ……次回に続きます。

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