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2008年 大川総裁講義 『About an Unshakable Mind(邦訳『不動心』について)』より

【選挙期間中につき、幸福の科学教義・支部関連の話題を中心に更新しております】

 昨日。大川総裁が京都タワー前に現れ、第一声をあげた、という。
 
 体は大丈夫なのか、と危惧する会員達の前で、グレーのスーツ、白手袋の総裁は、日本中に響き渡るが如き堂々の演説だったそうである。
 このブログ更新時にはまだだが、今日も街宣があるとのことだ。

 「倒れた人間がそんな元気なはずがない」と思う人もあろう。
 が、最近の例では、宮沢賢治が、死の直前、相談に来た農家の人に対し、体を起こし、きちんと着替えて座し、肥料の設計を指導した、という話が残っている。
  いかに体が苦しくても、自分を求める声を聞くや、体の芯に鋼(はがね)が宿るのが、宗教者という人種なのではないか。

 ……というわけで、

●2008年の、大川総裁の英語での講義
 『About an Unshakable Mind』(邦訳『不動心』について )

 を今日は読むことにした。

 なんといっても、この講義のすさまじいくだりは、大川総裁の体験談である。
 では以下。

大川総裁
 『……2004年5月14日、私は幸福の科学総合本部での会議の帰路、激しい心臓発作を起こしました。
 翌日、病院で検査した結果、医者は私の妻に
 
(大げさな重々しい医者の口まねで)
「彼……ご主人はすでに死んでいます」(会場 笑)
 妻はうろたえて
 
(甲高い女性の声まねで)「彼は動き回って病院中をみて歩いているんですよ!」(笑)
 医者「でも彼は死人です。心臓の下部は動いていません」』 (翻訳・要約は小生)

 ……いきなり「ありえない」話である。

 心臓の下半分が動いていない、だって?
 それで普通に生活している、だって?

 小生、類似の話は、アルメニアの神秘思想家ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフが(書籍「注目すべき人々との出会い」で有名)、死の前の数ヶ月、内臓が腐敗した状態で生存していた、という噂ぐらいしか思い浮かばない。

 大川総裁はその後、どうなったか。

 大川総裁
 『私は、肺に水が溜まり心臓が肥大し、医学的に見たら、死者のはずでした。
 なのに私は夕食を食べ、「ああ、おいしい」(笑)と言い、仏典を読み、自分が健康だと思っていました。
 しかし、妻が子供達を連れてきて
 (今にも泣きそうな女性の声色で)
 「さようなら、あなた」
 と言い、家族の写真をおいていきました。
 私はショックを受けました。
 オーマイゴッド(笑)。
 (芝居がかった悲鳴のような声で)
 「私は死んだのか! 知らなかった! これはいったい何事だ!」(笑)
 しかし翌朝、みじめな思いをしたのは医者のほうでした。
 私は生きていて、子供達に手紙を書いていたのです。看護婦も驚いていました。
あのとき、私は死んでいました』 (翻訳・要約は小生)

 あの気丈な夫人が、泣きながら家族を連れてきて、家族の写真を置いて帰らねばならない事態である。
 総裁も覚悟されたのだろう。
 「翌朝、子供達に書いていた手紙」とは遺書に近いものではなかっただろうか。

 ……関係ないが、病院の食事を「ああ、おいしいなあ」といって食べるなんて、ものすごくそれだけで人間ができておられると思う小生である。

 さて、その後の経過である。

大川総裁
 『私は、二日目にICUでリハビリを始めました(笑)。
 また、病院で、力強く光溢れる『成功の法』の原稿を書き終えました。さらに、幸福の科学の月刊誌のオープニングのショートメッセージを、9年分、108本書き終えました。
 私が死んだら、あなた方にはメッセージがいるでしょう。(やや道化た口調で)あなた方は私の辞世のメッセージを毎月読んでいるのです。
(会場笑、総裁も、あっはっはっはっはっとお笑いになる)だから、あれはとてもハートフルなのです。』   (翻訳・要約は小生)

 ……いや、だから総裁、笑い事ではないですって。
 確かに、その言葉を証するように、いま、月刊誌に掲載されているメッセージからは、澄み切った月を眺めるようなキレと異様な迫力を感じる。
 支部の前の掲示板に掲示してあるので、道すがら、わざわざ立ち止まって読んでいる人も多い。

 それにしても、危篤状態だった人物が、すさまじい仕事量である。鬼気迫るとはまさにこのことだ。
 小生は夜、ベッドの上で横になったままブログの記事を書いているが、かなりの体力を持っていかれている。まして、このときの総裁の病状から考えたら信じられない。

 なにより凄いのは、この凄惨な重いご自身の体験を弟子に話すとき、コミカルに、声色を交えて語っていることである。
 小生は、これを地方の正心館で聞いたが、事実、場内は爆笑につぐ爆笑であった。
 (総裁と面識のある古参の会員さんたちは笑っていなかったが)

 総裁自身は生死を超えた心境にあって、あとは、「自分を慕う小さな子供達に、お父さんが、死にかけていたことをユーモラスに話して、怖がらせないようにしている」ような優しい印象を受けた。

 このとき総裁の語る英語の和訳を、皆は字幕で読んでいたが、英語で語られたのは、サトウハチローのローマ字日記のように、生々しさを押さえるためだったかもしれないとすら思う。

 そして、この体験はこうまとめられる。

大川総裁
 『そのとき、私のもとにイエス・キリストとエドガー・ケイシーが現れました。
 「あなたは大丈夫です。あなたは病院を一週間から十日で出ます。医者の言ったことを忘れないように」と言いました。
 実は、この国の厚生労働省は、私のような症状の患者が、二十一日以内の退院することを禁止していました。
 しかし、私は2週間で退院し、その後、自分の体調を整えようと思い、体重を落とし、約3000㎞ぐらい歩き、強くなりました。
 それ以来、私は100以上の法話をしています。
 (少し笑いながら)これが私の不動心です。わかりますか?』  (翻訳・要約は小生)

 霊人達の言ったという、「医者の言ったことを忘れないように」とは、「あなたは死にます」等の診断が覆るから、奇跡として記憶しておけ、ということか。
 それとも、医者の言う生活上の注意点を守るように覚えておけ、ということか。
 どうも前者のような気がする。

 ともかくも、そのあと順調に総裁は仕事をしているわけである。

 また、講義では『皆さんが私の不在に気付かなかったのは、私が休んでいる間にも発表できる講義のストックがあったから』という、仕事論があり、
 『医者達は、私が使命そのものであることを知らなかった。私は死ねないのです。私は不死です。私は、不死なのです。』という宗教的な発言もある。

 こうしてノートを読み返すと、あらためて凄い。
 興味のある方はご一読を。
 冊子版は各支部か、各正心館で出ているのではないかと思う。

 そしていま、この文章を読み返して思うことは、
 全国の会員さんたちは、おそらく、こう思っているに違いないということだ。
 「……この死線を超えてきた私達の先生なら、今回もまた奇跡を生む」
 「先生は、どんな戦場でも、必ず生きて帰ってこられる」
 と。

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