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講演会、とつぜんの中止

 夕方、小生の伴侶に連絡が来る。講演会が中止になったという。

 慌てて大川総裁のホームページを見る。

「2009年8月12日 16:45
8月12日東京12区合同講演会中止のお知らせ
8月12日19:00より予定しておりました東京12区合同講演会は、講演者体調不良につき中止とさせていただきます。」

 思い立って、小生、総裁のスケジュールを見てみた。
 六月、七月は、なんと一日おきの講演である。
 大川総裁の講演は、大会場で一度行うと、総裁の体重が数キロ体重が落ちてしまうという有名な激しいものである。
 それを一日おきにやっていたのだ。
 心臓をいためて入院し、退院して数年もたたぬうちに、こんなハードな仕事を組んで行った人を、小生は見たことがない。

 日本が世界に誇るキリスト者、内村鑑三「自らの内臓を切り取って差し出す思いで言説を出してている」というような言葉を、所感集であったか、自伝であったか、述べていた。

 かなり大昔、総裁にかんして、そっくり同じ、総裁のエピソードを昔、聞いたので、ここに書いておく。

 1990年頃、大伝道が開始されたときに、職員達は毎晩、深夜まで本部につめては仕事をしていた。

 そこへ、なんとふらりと大川総裁 (当時は主宰だった。主宰先生、とみな呼んでいた) が見えられた。
 規模が小さいと言っても、大川隆法という方は、信者達にとって見ればいまとかわらず雲上の人である。
 そこにいた二人の職員はとびあがって驚いた。
 が、総裁は、連日徹夜で働いていたかれらを座らせ、よもやま話をはじめた。
 ふと、彼らは、総裁の手に気がついた。

 その手の中指 (だったと思う) には、なんと、巨大なペンだこができていたのだ。
 しかもそれは見るからに痛々しく割れ裂け、血がにじんでいた。
 ワープロを使わず、その手で原稿を書いていたのだ。
 そして、総裁はこんな話をしたという。 

 大川総裁「鶴の恩返しって在るだろう。あの物語の鶴は、自分の羽を、一枚、また一枚、ぶつりぶつりと抜き取って、見事な織物をおりあげた。
 私も、同じ気持ちで、仕事をして居るんだよ」

 ……と。

 最近の講演を拝聴しても、大川総裁という人は、あの頃と全く変わらぬ態度で仕事をし続けているのがわかる。
 講演会の中止の報に、そんなことを思い出したので書き留めてみた。

 今宵は、瞑目して、ひたすら総裁のご無事を祈りたい。
 

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