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2008,8,2 三重特別講演会 人生はどうしたら開けるか(2) 幸福の科学出版を始める前の話

 面白かったのは、昔の幸福の科学の話。
 総裁「物事を新しく始めるのは困難である。重大で難しく手に負えないように見える。私自身も同じ。」
 という話をされたときに、

 総裁「出がけに、二十数年前に総裁が読んでいた、カーネギーの「道は拓ける」をめくった。
  『悩んでいることを書きなさい』という書籍の文章に対し、二十三年ほど前の、書き込みが章の終わりに書き込んである。
  幸福の科学、まもないころの悩み。」(要約 小生)

 が書いてあったという。それはどんなことか。

 総裁「私は霊言集、六冊目を出版して会社をやめた。
 当時はスピリチュアルを出してくれる出版社は二つ。
 しかし、その出版社は、霊言の原稿を勝手に削除していた。
 霊界からの霊言である。内容は霊示であり、人間心でいじられるのは、とても辛く感じられた。
 そこで、出版社と絶交の手紙を出した。
 ……しかし、それでよかったのだろうか。出版は今後どうする。ほかをあたるべきか。誰と相談したらいいのか。」(要約 小生)

 といった内容だったそうである。
 当時の出版社と言えば、潮文社であろうか。
 二つの出版しかなかったと言うが、たしか、あのころ、そうした書籍を出版していたのは、たま出版か潮文社だったと記憶している。
 ずいぶんご苦労されたものだ。

 ……それにしても、潮文社、そんなことをやっていたのか。
 社長は「誰それの霊言」といって出しながら、本当は信じていなかったのか。
 信じていたのなら、朱筆などいれられないはずであるから。
 だとするととんだ詐欺である。

 なお、絶版になった霊言集は、幸福の科学史部で教典として売られ、いっぽうで絶版前の潮文社の霊言集は古書として、いまでも人気があるようである。

 
 総裁「当時は、自分のところで出版社を立てることも考えなかった。 自分で出版社を作るなんてことも困難に思え、とても心配した。
 しかし、今や世界七十カ国に翻訳。いまや、逆に他の出版社は、ベストセラー作家を抱え込んだ幸福の科学出版がうらやましくてたまらない。
 あんなものは小さい悩みだった」(要約 小生)

 当時、もう一社、幸福の科学の書籍を出していた土屋出版も、様々に問題があって、結局縁を切ったはずである。
 総裁は悩まれ、結局、思い切って幸福の科学出版設立という勝負に出たのだろう。
 しかし、勝負は大当たりだったわけだ。
 今では、総裁以外の書籍も出ているが、実学書には、三笠やダイヤモンド出版と比肩するような、かなりよい翻訳がずらり入っている。
 ユートピア文学賞なども毎年安定して開催できるくらいであり、総裁のご家族以外の著者の書籍の中には映画化されたものまであるから、堂々の成功である。
 
総裁「 向かっていく方法が正しいなら信念を持つこと。
 そして勇気を持つ。物事がなされないほとんどの原因は勇気。
 良いアイデアがあったり、経営用がなければ勇気がなければ。現状までの自分を守ったほうが得。
 勇気を鼓舞してその谷を飛び越せ。
 とんでみると、それはあなたの足で十分飛べる。
 しかし、とてもその谷が深くて怖くて暗くて難しいように感じて飛べないでいるのだ。
 信念に基づき、勇気を持って飛んだ人が明日のリーダー。
 勇気なくしてベンチャーの社長になった人はいない。」(要約 小生)

 ……ただし、実際に成功できるかどうか、勝負の行方を冷厳な目で検証する、というのもこの団体の大きな特徴であろうと思う。
 今年は勝負の年なので、こうした教えが多く説かれている、ということも、読者としてはおさえておきたい。

 しかし、成功者の苦労譚というのは、面白いなあ。
 ハッピーエンドがわかっている小説を読む安心感がある上に、実人生の参考になるためだろうなあ。

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