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きょう子宣伝局長と田母神氏の対談 八十代の男たちに反響が凄いらしい

 伴侶からメール。
 なんでも、大川きょう子宣伝局長と田母神俊雄氏の対談が掲載されるや、本部に全国の新聞読者からの電話が鳴り響いたらしい。

 それがみな一様に
 「感激のあまり電話した」 という内容であり、しかも、
 八十代~六十代の男性の比率が多い らしいのだ。

 小生、その話を聞いて、ぐっと胸が切ない思いがした。
 一体どんな思いで、彼らは電話をかけてきたのだろうか。

 八十代である。
 戦争を知っているのである。
 六十年安保などで骨抜きにされていない、本物の男たちである。
 見たこともない同じ国の人びとや、生まれてくる子供や女達のために、命を捨てる、という教育を受けたのである。
 そして敗戦。
 その後の日本の復興。
 ところが、老境に入って、日本がおかしくなり始めた。
 国は乱れ、若者はどんどんモラルが無くなっていく。
 死するがために一心不乱に生きた青春、無我夢中で荒れた国をもりたてるために働いた壮年、そののちに訪れた晩年に、こんなぶざまな国の姿を見せられて、「俺たちは、戦友達は、なんのために……」と憂国の思いでいたことであろう。
 そこへ、この広告である。

 一人の女性が、「正論を説いたためにやめさせられた元幕僚長」と、国を変えんがために立つ、という話をしている。

 彼らの多くは、夢中で受話器を取り、電話せずにはいられなかったのではないだろうか。
 電話口で、彼らは叫ばずには居られない。

 ……「応援する」と。
 「あなたのような人を待っていた」と。
 「頼む。この日本を、変えてくれ」、と。

 この一連の流れを、想像すると目頭が熱くなる。

 小生の近くの支部でも、信者さんが辻立ちして訴えていると、高齢のご夫妻が近づいてきて、「あんたたちの言っていることはすべて正しい。私はいれる」と熱く語られた、などというケースが枚挙にいとまがないそうである。

 白のオープンカーで「白馬の騎士が……」とやったドクター中松も八十代だったな。

 八十代でまだまだ熱い。
 この国には凄い男達がまだ生きていた。兵隊さんである。 最後のサムライである。 
 戦前・戦中を経てたたき上げられてきた、八十代の漢(おとこ)たちの綺麗さ、熱さに、心底しびれる小生であった。

 八十代の漢(おとこ)たちに火をつけた、産経新聞の記事、全文アップを見つけたのでリンク

「激論 日本の選択 上」(PDFファイル)
http://members3.jcom.home.ne.jp/multithread1/hrp_tamogami_taidan1.pdf
「激論 日本の選択 下」(PDFファイル)
http://members3.jcom.home.ne.jp/multithread1/hrp_tamogami_taidan2.pdf

 ……しかし、きょう子氏は写真写りが悪いな。

 小生の実母は、「髪型が古いかんじがするね。変えたら支持率アップするね」と言っている。
 しかし、四月末の電撃結党以来、なんの心構えもせずにかり出されて街宣の毎日である。
 呑気にパーマ屋になど行っているヒマは、ないのだろうなあ、と、胸が痛む。
 

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