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五月十日、初の結党大会(1)

 大川総裁の法話の後に、結党大会、党四役の発表がある。

 党首は、誰だ? と思いつつ、小生は途中からしか聞くことができなかったのだが……

 おおっ、党首は饗庭(あえば)さんじゃないか!

 なるほど!
 最良の選択の一つだ、と大きくうなずく。
 そうだった。
 饗庭さんがいたんだった。
 
 饗庭さんは、慶応の総代である。
 全国大学弁論大会の優勝者だ。
 しかも、すごいところは、それまでの全国大学弁論大会というのは、東大や京大といった国立の大学がずっと優勝していて、私立にはチャンスはないといわれていたのだが、
 私立大学からの参加で初めて優勝をかっ攫った人、それが饗庭さんなのだ。

小生、面識はないが、会員さんの間では饗庭さんは有名人である。

 確か、二十年ほど前、「信仰を持つ若者」みたいな特集のテレビに、幸福の科学の若者代表として出て、ジャンキーのよたよたしたキリスト教徒の若者と並んで座らせられ、となりのその御仁とは対照的に、ぴしっとしたスーツを着て終始崩れず綺麗に応答していた。
 その折、本番中にも関わらず、黒木ナントカいう脇毛をぼうぼうと生やしたアダルトビデオ女優に、ちょっとした色目を使われたのを良く覚えている。
 饗庭君は少しも動ぜず、頭に手をやって、生真面目に道化た感じで、は、どうもどうも、という感じであっさり上品にいなしていた。

 大学を卒業してすぐに職員として出家したはずだ。
 ルックスよく、絵に描いたようなさわやかな好青年で、やたら物腰が礼儀正しく、たいへんに安心してみていられる。
 以前、某真理教のJ被告が、テレビでファンクラブができたとかいっていたが、彼と比べたら、先方は失礼ながら公衆トイレの茂みに隠れていそうな犯罪者顔に見えてくる。
 小生、思い出すに、大昔の仏陀教団に「ヤサ」という僧がいて、それを目当てに女性が出家して出家して困ったとか、「ヤサ男」の語源になったとか言われている坊さんがいたっけなあ、とそんなことを感じたのを覚えている。教団の作った映画にも出ていたが、なかなか様になっていた。

 さてさて、今の饗庭さんは、と見ると……

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