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「幸福実現党宣言」を聞く(5) 必ずしも善人ではない「日本の周辺諸国」

さらに、
総裁曰く、「周辺諸国がここに書いて在るとおり、善人ばかりならこれでよいが、実際はそうではない」
「理想は理想として、具体的にそれに則って国を動かしていく憲法に、嘘を書いてはいけない。」(要約 小生)

 ううむ。 
 小生は、「理想が謳われた素晴らしい憲法だ」と、習った。確かに習った。
 小生もそう思いつづけてきた一人ではあるのだが、なるほど、憲法と理想とは違う。

 確かに、憲法は酔うための文学ではない。憲法は標語ではない。小生思うに、憲法は、国民が自らに課す「枷」という面がある。

 「枷」が過度なものであれば、身動きとれなくなるのは当たり前だ。

 たとえるならば、男たちが友愛の理想・平和憲法という名の珊瑚でできた美しい枷を自らの手足にがっちりはめて、「ほうら、きれいだろう、これでもう戦わなくていいんだよ」と、陶酔している間に、気付いてみれば世界は戦国時代のただ中で、泣き叫ぶ女房子供が隣の大国の残忍な男どもに荒縄で縛られて売り飛ばされていくのではたまらないではないか。

 いや、荒縄で縛る、などというのは比喩ではあるが、生やさしい表現だ。
 史実は、元寇が津島に来た際に、捕虜になった島民は、手に穴をあけられ、そこに縄を通されて船側にぶらさげられて運ばれたという。

 そうした残忍な隣人が、この国をねらっている、といっているのだ。

 ここで小生、ふと気付く。
 大川総裁は、極めて波風を立てないようにする御仁なので、過激な発言があるということは、すさまじい難事が、この国にそれだけ迫っている、ということではないか、と。

 国が滅びる瀬戸際でなければ、この御仁はこうした過激な発言はしない。

 小生は切ない思いで聞いていた。
 若い頃から小生たちの世代を楽しませてくれた作家やタレントたち……井上ひさし、永六輔、黒柳徹子、などなどの心優しき諸氏を敵に回さねばならぬのか。
 (久米宏とか野坂昭如とか古舘伊知郎あたりは、むしろ叩きのめしていただいたら溜飲が下がる人々も多かろうが)
  切ないが、やらねば、大変な事態になる、ということなのだろう。

 講義は未だ序盤である。
 ずばずばと切れ味の良い発言に、我が身がざくざくと切られるように感じつつ、次の論旨は「天皇制」に入っていく。

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