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2018-06

2018年 新潟知事選 日本が「新潟」から崩壊する日(1)「世界は平和ではない」ことに日本だけが気づかない

 この更新を書いているのは、6月10日の新潟知事選直前である。
 いやはや、「一方的に派手」な知事選であった。
 なにせ、左翼の有名政治家達が新潟に入れ替わり立ち替わりやってきて、派手な演説をぶちかまし、選挙の論点は「原発」とか「女性蔑視」と称している。
 だが、この知事選、実は「国防に関する選挙」の面を持っていたのではないか。
 今回の新潟知事選は、あとから歴史をふりかえったときに「あの時が日本を大国の属州にする有効な布石の1つであった」と語り得る日になる可能性があったように思う。
 知事選前夜、大川総裁の近刊霊言「司馬遼太郎 愛国心を語る」をめくりながら、その雑感を3回にわけて書き残しておく。

【新潟知事選 雑感1】「世界は平和ではない」ことに日本だけが気づかない。マスコミという優秀な「洗脳機関」のもと、日本は知らぬ間に他国の侵略を許す

 現在、国内のテレビ・新聞は、安倍政権下ろしに躍起だ。
 気持ちはわかる。霊言「司馬遼太郎 愛国心を語る」によれば、 
「安倍内閣が中身があるように見せて『綿菓子』を売っていた」
 ために、日本経済がうまくいっていないのであり、
「嫉妬心が強くなり、『左翼待望論』が出てきた」
 ということなのだそうである。
 しかし、視聴者から一言、申し上げたい。
 ……平和な時にやれ、そういう事は。
 マスコミが一定の敬意を払われているのは、私たちより認識が優れた人を集めて、判断の材料を提示してくれるからのはずである。
 少なくとも、一般市民よりも多くの情報に接している。
 そんな人々なら、わかるはずなのである。
 「再び独裁者の時代が来た」(前掲書)と。
 独裁者というと、マスコミはここしばらく、安倍首相やトランプ大統領がその人だと示し続けている。
 いやいや、違うだろう。
 あなたがたの番組を見ている我々でもわかる。
 独裁者とは、中国のトップであり、北朝鮮のトップであり、ロシアのトップである。
 彼らは全員、自分が国のトップを死ぬまで続ける、「終身主席」制度を法律で作り上げ、強大な軍事力を持ち、核兵器を持ち、そして日本を狙っている。
 前掲書ではこれにさらに「韓国の文在寅大統領」が加わるという。「日本のマスコミには、文大統領のことを『大江健三郎が大統領になった』ように見えている」(前掲書)ので持ち上げているが、韓国ではいま、「南北統一に逆らうヤツは極右」という言論弾圧が始まっている。彼は現在「陰謀家」であるが、どうやら「ファシストの雛」というわけだ。
 
 この状況を平和に向かった雪解け状態とは呼べないだろう。
 にも関わらず、テレビ画面の登場人物に「いま、日本が占領されそうだという危機感」を持つ人が1人も居ない。そして、口を開けばモリカケモリカケ。

 「大局観が必要なときに、『週刊誌政治』に全体が引きずり回されている。」
 「国際政治では今や蚊帳の外におかれ、巨弾を国際政治に撃ち込みたいのに、醜聞で動けない安倍内閣」(前掲書)

 なぜこんなことになっているのか。前掲書では、
 「マスコミは、堂々たる主張が出せないから、他の話題に逃げを打ち、時間つぶしをし、何か仕事をしているように国民に見せている」のであり、さらに、「朝日 対 安倍首相」の構図が復活してきていて、お互い相手の首をとることだけを考えているのではないかということだった。
 政府と、マスコミ。
 この国を動かしている2つの大きな権力が、保身のために互いに睨み合い、互いの息の根を止めるために食い合いをしている。
 だとしたら、これで一番ワリを食っているのは国民である。
 ワイドショーを見ているとぞっとする。
 この国はもうかなり長い期間、モリカケ中心に相撲やアメフトのスキャンダルだけをえんえん流している。まるで何かの洗脳を食らっているかのようだ。
 そして、国外の軍事関係のニュースは1つも伝わってこない。
 日本を取り巻く危険な状況を知っていながら、こんな番組作りをしているなら、実はマスコミのトップは、「日本が占領されるの前提にして、ひたすら全国民に麻酔剤を打ってるのと違うか」と言いたくなる。

 ふりかえってこの三十年、日本に関する状況はどうであったか。
 戦後、領土は広くとも貧しかったとある隣国に、「私たちが悪かった」といいつづけて稼ぎのうちからかなりのお金を渡していた。
 すると、いつのまにか、そこには、超巨大な独裁軍事大国が出現して、大量の核兵器を持ち、照準は日本に向けてセットされていた。ところが、この事実を、ほとんどの日本人が知らなかった。
 1990年代、東京ドームで1人の宗教家(←大川総裁のこと)がそのことを口にするまで、ごくごく少数以外、そのことを誰も意識しなかったし、マスコミではタブーになっていた。
 これが30年前の日本でのできごとだった。
 その後30年、状況は危ういままだ。
 マスコミも政府も、ほんとうに正確に日本を取り巻く状況を把握しているなら、毎日、天気予報で天気図を見せるように、
 「今日の中国軍の軍事行動」とか、
 「人工衛星から見た今日の北朝鮮のミサイル基地の活性化状況」
 とかを流していただきたい。
 ミサイル一発飛んでから警報だけ鳴らされても、次の瞬間に我々は真っ白な灰になっていることだろう。
 けれども日本は、軍備を持たせないように、持たないように、それどころか軍備を貶め、財源を削ることで「シビリアンコントロール」と称しているかのようだ。
 にもかかわらず、軍事費とエネルギー源の原発を削減するたびに、国民で喜び合っている、この豊かな小さな国。
 独裁国家から見れば、この国は、あたかも、番人のいない、まるまる肥えた「高級牛」の群れに見えるだろう。
 中国、北朝鮮、韓国、ロシア。
 外の諸国、すなわち「狩人たち」は、どうやってこの「高級牛」をいただくか、一番美味しいところはどこの国がとるか、いただいたあとはどんな料理にしようか、もはやその算段までできていると思われる。
 そんな目で見られているのに、「食材」である「高級牛」たちだけが、愛と平和を信じているのだ。
 たとえば草原で、高級食材の牛たちが、狩人達の存在に気づかず、無防備に平和に暮らしている、とする。
 あるとき、高級牛の群れの中で、「おい、俺たち、食われるんじゃないのか。用心した方が良くないか」と発言する牛たちが出現した。
 「俺たちにはツノがあるじゃないか。戦って、俺たち自身と、女房子どもを守らないか」と。
 そして、「誰もやらないなら俺がみんなを守る」と、単身、ツノを磨いて身を鍛え始めた。
 ……これはいかん、と、「狩人たち」は、牛たちの中でも、声の大きな牛たちにこっそりと会いに行き、愛と平和の尊さを説き、「ツノを磨く牛たちは対話をないがしろにして平和な世界を侵略に出かけようとしているのだ」と嘆いてみせた。
 それを聞いた声の大きな牛たちは、義憤に駆られて、彼らの持てる語りの技の限りをつくして仲間達に訴えた。
 心の底から感動した多くの「高級牛」達は、不安がる牛を仲間内でをいじめ殺せば、世界が平和になるのだと思いこみ、それを実行した。
 直後に「狩人たち」がやってきて、牛の群れ全てを殺してたいへん美味しくいただいた。
 
 ……こう書いていくと、まるでイソップ寓話のようだ。
 実に面白い。
 自国でさえなければ。
 映画「セブンイヤーズインチベット」に描かれている、中国のチベット侵略の時、中国はこの手法を用いて、チベットの「平和勢力」の力を強め、国をとることに成功した、という。ダライラマは未だ母国に帰れない。
 そして、チベット同様、自分たちを狩人達の食材のテーブルに載せるための大きな役割を、新潟はいつでも果たしうるポジションにある。

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