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幸福実現党観察日記

安倍内閣の未来を占う 幸福の科学大学認可のゆくえ

 安倍内閣、秋の人事が決定した。
 「谷垣幹事長」にはみな驚かされたのではないだろうか。「何が何でも安保関連の法案を通す」という安倍首相の気迫を見たように思った。
 多くの保守派は、「このまま順当に安倍政権が国防と外交を固めてくれれば」、そして「なんとかさらなる消費税増税の荒波を乗り切ってくれれば」……と、祈る思いでいるにちがいない。 閣僚の顔ぶれを見た各紙、「保守か革新か」と、その解説に余念がない。
 だが、この人事には、安倍政権「絶命」のおそるべき可能性が含まれている。
 ……「下村文部大臣の留任」。
 いずこのマスコミも触れないが、おそらく、この人事こそが、安倍政権の致命傷になりかねない。

 書店に行くと、この八月末から、幸福の科学が、すさまじい出版ラッシュをかけてきているのに、読者は気づいていることだろう。
 その出版数、なんと十日ほどで二十五冊近く。すべて大川総裁の書籍である。
 内容も、雑談風の霊言ではない理論書的なタイトルがずらりと並び、霊言にしても会内出版のみで出されていた高額な書籍が一般公開され、一方で、「病気直し決定版」ともいえるような一書「ザ・ヒーリング・パワー 病気はこうして治る」のラインナップも鮮やかな印象だ。
 大川総裁をライバル視する作家や出版社は、完全に打ちのめされたことだろう。
 こんなことができる作家は、おそらく過去にも未来にも、出版史上、存在しない。
 いっぽうで、総裁の愛読者は頬の筋肉がゆるむのをおさえきれない。出版リストを見てはどれから読もうか、買い逃しがないかと、破顔が止まらない状態である。

 だが、喜んでばかりもいられない。
 この出版ラッシュの理由を示すのが「下村大臣の霊言2」という一書である。
 それを読むと暗澹となる。
 今秋、認可予定の、幸福の科学大学の認可が下りない、という。
 それを阻んでいるのが、下村大臣と、どうやら安倍首相そのひとである、ということが示されているからである。

 幸福の科学大学。
 この大学に関する、事前の情報を総合する限り、この大学は、かつてない有力な国防上の拠点となる。
 思想的な意味のみならず、むしろ物理的な意味で、この大学には、今まで日本でタブーであった、「産学軍」を一体化させようとしている意図が見える。技術的な側面で、日本はこの大学に支えられることになるだろう。
 だが、ここで「幸福の科学大学の認可をおろさない」、というのは、それを一つ、事実上潰し去る、ということである。
 その理由は、おそらく一つ。
 安倍内閣は、ここへきて、安保法案(しかも九条改正ですらない、その事前段階の法案)を通すため、左翼マスコミからたたかれる一切の要素をへらすために、波風を立てまい、そして、場合によっては「幸福の科学を切ろう」、としているのだ。

 まず、ご存じない方のために、幸福の科学大学と安倍政権に関するここまでの経緯をざっと追ってみる。

 幸福の科学は、この春から初夏にかけて、大学の申請を提出していた。
 団体としては、八方に根回しをすませ、建物、カリキュラム、人材、おおかた用意しての万全な申請であり、問題なく通って、来春には開学の運びとなるはずであった。
 ところが、それが突然、ことごとく通らなくなった。
 これはどう見ても奇妙なことだった。
 なにせ、最終認可を握っている下村大臣は、幸福の科学の信者であり、二十年前に直接大川総裁に面談を申し込み、指導を受けた人物であり、以降、選挙に関しては幸福の科学から、かなりの協力を受けている、という。
 その人物が、言を左右にして、大学に認可を出さないのだ。
 不審に思った大川総裁が、下村文部大臣の守護霊霊言を収録したのが今夏。
 幾度となく呼び出され、あるいは自ら総裁の周辺に現れたという大臣の守護霊は、出てくるたびになんというか、狸といおうかムジナといおうか、「代議士」らしく責任を逃れつつ、結局うやむやにして通す気がないことを明らかにした。
 最初は、「下村大臣が、幸福の科学と、ほかの宗教団体にも二股かけていて、どうやら本命はそちらであり、そのために幸福の科学の大学開学を邪魔している」、という話もあったのだが。
 ここに来て、その下村大臣を留任する人事に、この「幸福の科学大学の不認可」は、じつは安倍内閣の意向でもあるかもしれない、という疑いがぬぐいきれなくなってきた。

 下村守護霊霊言の言葉だけを見ると、なるほど「認可を出せない」という、その言い分には、確かに、納得できるところもある。
 一番の理由は、「大川総裁はともかく、幸福の科学という団体は、社会的信用が今ひとつだ」ということだろう。
 別な言葉に言い換えるとするならば、要するに、「幸福の科学の永続性」への不安である。
 周囲から見て、幸福の科学という団体は、「大川総裁一人で保っている団体であるから、総裁なきあと、崩れ去ってしまうのではないか」という危うさがあるということだ。 
 この言葉を、執拗に下村守護霊に語らせたのは、大川総裁の弟子に対する無言の指導にも見える。
 これを目にした心あるお弟子は、職員・在家とも猛省するはずであるからだ。
 たとえば、職員なら、一般教養と教義の翻訳力を身につけて、文科省の役人や、審議委員会の委員達をディベートで撃破できるだけの個人的実力を磨かねばならないと痛感するだろうし、在家は、もっともっと成功して信用力と影響力を持たなくては、と胸に刺さる思いでこの霊言を読み、いずれも、『総裁に弟子の仕事をさせて時間を無駄使いさせている、「先生の負担を減らさなければ」』と、それぞれの精進に厳しい喝を入れられた思いとなる。
 だが、そうした教団内部の反省事項は、別として。

 実は今回の件に関しては、それらの批判によって認可をおろさない、というのは、全く筋が通らないのだ。
 なぜなら、幸福の科学サイドは、大学設立に関して、全く自分たちの判断でだけで着手したのではないからだ。
 そもそも、この大学の件がまだ全くの白紙であった段階で、幸福の科学側は、文科省に「大学を建てたいのですがどうでしょうか」と打診した。
 そのとき、文科省は確かに内諾を出した。
 その内諾を受けて幸福の科学は信者さんから数百億の資金を集め、大学校舎も建て、人材を集め、さらに、最低、年間数十億はかかる大学運営資金も準備をしてきた。
 もし、問題があるというならば、内諾を出す段階、あるいは、その準備の段階で、幸福の科学に通達されるべきものであったはずだ。
 それが、団体に莫大な予算と人員をかけさせ、すべて整って、最後の審査で(……これも、本当は形ばかりの審査になるはずだったのではないかと思うのだが)、いきなり文科省が難色を示しだし、めちゃくちゃな無理難題をふっかけてきはじめたのだ。
 「めちゃくちゃな無理難題」とは何か。
 たとえば、ほかの宗教団体の大学なら問題にならないような、
 「宗教学を教える大学だというのなら、キリスト教、仏教、イスラム教に関してそれぞれ教えるべき概論を出せ」
 ということをいってきた。
 はて。
  天理教や創価学会、キリスト教系の大学で、そんな精緻な講義がなされているなどという話は、聞いたことがない。
 そもそも、各世界宗教各派の概論を突然まとめろといわれたら、常識的に考えれば最低、数年はかかるだろう。
 そのほかにも、
 「目新しい名前の学部であるから、実体がともなっているのかどうか疑わしい。それぞれの学部で教える学問内容に関して、事前に内容を細かく提出せよ。それが果たしてアカデミックかどうか、読んでから判断してやる」
 というようなニュアンスの通達も来ているらしい。
 これまた無茶苦茶だ。
 これは、土壇場に来て、「大学の全学部・全学科の講義の全内容を提出しろ、それを読んでから判断してやる』といっているように聞こえる。国立でも無い、私立の大学の認可にである。そんなこと、現行の大学ですら、いわれたら関係者は卒倒するであろう。
 ……そのような、一つ一つが回答に年単位でかかるような「難癖」を、どうやらいくつも通達してきたらしい。
 しかも、それを、文科省はどのようにして通達してきたか。
 なんと、文科省は、この大学の認可の審査の最終判断に入る、その直前……三週間前に、突然どかどかとすべて言い渡してきて、その通達の直後に自分たちお役所はさっさと夏休みに入って、その日から一週間、完全に音信不通になったという。
 ……ああ、よくあることだ。
 似たようなことは、個人で役所相手に、おそらくほとんどの人が体験済みだろう。
 ……もうこれは、完全に、責任逃れをしながらうやむやにして、絶対に認可を出さない気なのだ、とわかる。
 実際、下村氏の霊言を読んでも、政治家も、審議会も、どこも責任のがれの発言ばかりで、最終責任がどこにあるのがわからない、交渉のしようがない状態をうまくつくりだしているのがわかる。
 典型的なお役所のやり方である。
 しかし、問題は、文科省が、幸福の科学に、数百億を使わせた後である、ということだ。
 この出資者は、十万、百万単位の信者さんたちだ。
 信者さんだけではない。
 地元は、「大学ができれば、経済効果も段違いになる」ことを期待しており、あの震災のあとでも、「この土地に大学を建ててくれるだろうか」と、地元から幸福の科学に問い合わせがあったというから、インフラ関係も、それを見込んで動いていることだろう。
 それらをすべてつぶして、責任はうやむやにし、なかったことにしようてしているのである。

 つまり、大川総裁いわく、「文科省による振り込め詐欺」が、現在、進行中なのだ。

 なお、文科省が出してきたという「難題」であるが。
 それに対して、むろん、総裁が座しているわけがない。
 文科省が出した、一つにつき、数年から数十年かかるその「難題」の数々を、総裁は実際に三週間ほどですべて回答し、現在も回答しつつある。数十人、数百人の大学教授が数年がかりの作業を、単身ですべてやりあげ、さらにその作業が続行中、ということだ。(単身で、ということの証明は、出版されている大量の大学用テキストは、大川総裁が総合本部で口述した講義であり、その状況の多くを支部や精舎で配信しているからである。もはやこの世の常識から隔絶している。)
 それが現在の幸福の科学の出版ラッシュ、というわけなのだった。
 読者にとっては「何のご褒美ですか!」と嬉しい悲鳴の上がる出版攻勢も、裏を返せば「お上」からの嫌がらせの結果なのであるから、手放しで喜べず、なんとも嘆息が出る。
 なお、はたしてその内容がいかなるものか、理解することの出来る書籍を一冊だけ紹介しろ、という方がおられるなら、最新刊の(といっても、もはや最新刊が、いつも5点、10点あるような状態なわけだが)「西田幾多郎の「善の研究」と幸福の科学の基本教学「幸福の原理」を対比する(幸福の科学大学シリーズ)」あたりが手頃かな、という気がする。
 この一書なりとも読まれれば、いかに幸福の大学の骨子がアカデミックかということがわかるであろう。
 少なくとも、内容的な面では、文科省の「不安」は全く杞憂であると、一般社会に対して書籍の形で証明がなされているのだ。

 それにしても、なぜ、幸福の科学は、こんなに、「今」、大学設立をすることにこだわるのか。
 総裁は、ご存じなのだろうと思う。
 安倍内閣は「2年後にでも再申請すれば通してやる」といいたいのだろうが、そこまで安倍内閣が、いや、保守派の内閣が保つ保証はどこにもない。
 先にも述べたが、この大学は、すぐれた技術の可能性を秘めながら、日本を追われそうな……たとえば小保方氏のような……そうした先端技術を持った科学者や技術者を日本で確保する、という側面も保っている。
 逆に言えば、この大学は安倍内閣教育改革の「裏の目玉」とでもいえる存在である。(このことは当然安倍内閣も承知しているはずである)
 なればこそ、ふたたび、民主党のような政党が、まちがって政権党になってしまったら……あるいは、中国がいきなり牙をむいて、映画「ファイナル・ジャッジメント」のような事態が出来したら、この大学が認可されるチャンスはなくなってしまうのだ。
 認可を遅らせることは、日本にとって大変な痛手となる。ここで逃がすわけにはいかない。
 さらにいうならば、これはもはや、一つの大学が設立されるか否か、という問題ではない。
 幸福の科学が安倍内閣から離れるかどうか、という問題に見える。
 逆に言えば、安倍内閣が幸福の科学を切るか、否か。
 その理由は、先に挙げたとおり、
 「左翼のマスコミが怖い」
 「ここで支持率を下げるいかなる要因も作りたくない」。
 また、あるいは、
 「消費税10パーセント上げに猛烈に反対している実現党を懲らしめる」
 ためであるかもしれない。

 だが、最近、今の内閣は、「勝てば官軍、政権を取ってしまえば、「どちらが上か思い知れ」という、尊大な気持ちが芽生えているのかもしれぬ」、という印象を受ける。
 昨年の復活から、これまで、安倍政権は「奇跡」に恵まれ続けてきた。
 最近、それが、「単に自らの力のみでなしている」、と、過信しているのではないかという言動が目立つ。
 少し古いが、こんな記事が気になった。
 【「私の第3の矢は悪魔を倒す」 安倍首相が英紙に寄稿 2014.6.30 08:56 [安倍首相]】 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140630/plc14063008560008-n1.htm
 日本のトップとして、対外的に威勢のいいことをいわなければならない、ということもあろうが、それを差し引いても、安倍首相は、本気で、自ら一人の力で「悪魔」を祓えるとお考えではないのか、ということなのだ。
 もしそうであるとするならば、その自己判断は、本当に正しいのだろうか?
 アベノミクスの出自は大川総裁という希有な宗教家にあった。ほかにも似たようなことを説く経済学者たちはいたが、説得力とわかりやすさ、その社会的影響力から、決め手になった思想家は、やはり大川総裁だろう。
 しかし、安倍内閣はその一部だけ、不完全な状態のまま、政府に都合の良い形で実行し、今なお経済回復は不透明なままだ。
 ここで、幸福の科学を、切り捨てる。
 それは、「天意」を離そうとしていることにほかならない。
 これは安倍内閣の行う、最大の誤った選択となりかねない。
 天意を手放す、ということが、どれほど恐ろしいことか。
 それは、何をやってもうまくいかなくなる、ということだ。
 これまで、奇跡に次ぐ奇跡で道が開けてきたその道が、みるみるふさがりはじめ、万全の備えで望んだはずの仕事が、ことごとくうまくいかなくなる。
 「おかしい、おかしい、こんなはずではない」と思いつつ、あっというまに命脈がつきてしまう。
 自然災害の恐ろしさを見ればわかる通り、天意を手放す、とは全く人間の力ではどうにもならぬ事態を招くことを意味する。
 その恐ろしい未来を、この人事は示唆している。
 逆に、ここで大学を認可すれば、どうなるか。
 宗教的な「天意」という意味合いを外して考えても、安倍内閣に被害は及ばない。
 もし左翼マスコミからたたく声が上がったとしても、幸福の科学の言論力は、左翼のマスコミの叩きをことごとく余裕で封じ、おつりで安倍政権の経済政策を一つ二つ出してのけるぐらいは楽勝である。
 これまでの実績を見てもおわかりであろう。大川総裁はそれだけの言論的膂力がある人物であるのだ。下村霊言を読む限りでは「幸福の科学の実力は信じられないが、大川総裁の実力は認めざるを得ない」のではなかったか。
 この件に関して、安倍内閣はもっと大川総裁という個人を信じていい。
 総裁は、自らと自らの団体に何の益がなくとも、国益のため、義のために、自らの名を喧伝することなく、安倍内閣を擁護し、後押ししてきた人物ではなかったか。
 そうした傑物の「義」が信じられなくなれば、天運を自ら手放すようなものではないか。

 ……自民党も、ここまでか。
 実現党と幸福の科学に道を開いてもらい、左翼の言論をすべて迎撃してもらいながら、自分たちは、「守られて当然」と思う……その姿は、昔からいわれている「選挙に勝つまでは腰が低いが、選挙に勝てば頭が高く、驕り高ぶる自民党」の体質そのままだったとしたら。
 苦渋をなめた「下野」は、彼らにとって、なんの身にもならなかったということだろう。
 それが事実であるならば、自民党は、やはり耐用年数が切れた政党なのだろう。
 だとすれば、安倍内閣のこの半年は、その最後のともしびのかがやきだったか、といわざるを得ない。

 ここで安倍内閣が天運に見放されれば、日本のダッチロールがはじまり、日本経済の回復は遠のくことになり、反対に、中国の世界的な、特に欧米での反日活動はますます盛んになるだろう。
 日本経済は未だ復活には至らず、単なる「時間稼ぎ」にしかすぎなかったということになる。
 厳しい試しの時期にある日本が、さらに「にがい杯」を飲まねばならぬかどうか。
 このたび、悲惨な土石流の災害が、広島に起きた。
 悲痛な現場を見ながら、だれも口には出せないが、「広島は、戦後の日本の教育のあやまりの発祥地でもある」、という事実が、頭をよぎった人は多かろう、と思う。「教育方面で、なにか安倍内閣はあやまちを犯しつつあるのではないか」、と。
 安倍首相の行く末を占う大学の認可は、この秋から冬に決まる。

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