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2014-12-15

日本の洗濯が始まる日 ~ 幸福の科学の「真の意図」とは

【衆院選 2014】http://www.sankei.com/politics/election2014.html

 一夜明けて、衆院選の結果が出た。
 国費の無駄遣い、といわれても仕方がないような、与野党の比率が変わらない結果であった。
 選挙の間を通じて、マスコミのぶちあげた「自民党がさらに勝つぞ」みたいな予測は何だったのか、とつぶやきたくなる。
 しかも、各党ごとの内訳を見ると、日本の国防にとって、良い結果とはとうてい思えない。
 まず、与党の票配分を見ると、自民微減、公明微増。
 つまりは、与党内で憲法改正に反対する議員が増えたという事になる。
 対する野党の票配分は、石原閣下の「次世代」が大幅減して、その票がそっくり民主と共産に入った。これは、憲法改正反対に加え、原発の再起動に大反対の連中が大幅に増えた、ということである。
 この結果に対しては、自民・公明のみならず、共産、民主も「大勝」と思っていることだろう。
 まことに国益にならぬ選挙であった気がしてならない。
 やはり未だ日本人の多くには世界が見えていないのか。戦後の外交的なぬるま湯から出るのが怖くて、「平和憲法」に執着しているようにも見える。
 あるいは、自国をとりまく「絶望的な外交危機」がよく理解できておらず、「批判票」の入れ先として手頃な民主・共産に入れたということか。
 かくて、数年前の大川総裁の「予言」の一つ、「第三極の小さな政党が、資金難等で次々と没していく」という状況が成就した選挙でもあった。

 そんな中で、幸福実現党は淡々となすべきことをなし、訴えることを訴えるのみ。
 俯瞰してみると、地道にやっている地方は強く、都市圏は弱い。しかし、地方では、堂々と「実現党」を掲げながら、市議に当選する議員が出ているから、着実にじわじわと支持を伸ばしている。みなさん、ごくろうさまでした。

 今回の選挙期間中に個人的に驚いたのは、選挙の宣伝以外の局面で、幸福実現党の名前をよく耳にした、ということだった。
 たとえば数日前、夕方のファミレスに子どもと入ったら、隣の大学生の一団が大声で幸福実現党の噂をしている。「事情通」みたいな先輩が、「幸福実現党は幸福の科学がバックについているのだ」みたいなことを後輩の女子に得々と話していて、女子は「ええーっ、センパイ、すっごい! 物知りー!」みたいな反応。そののち、「でも、別に宗教も悪いことじゃないよな、研ナオコさんとか創価だしな」みたいな流れでさらりと話題が流されていく。
 また、選挙当日のこと、子供にせがまれてニコニコ動画の「繰繰(ぐぐ)れ! コックリさん」というアニメシリーズの最新話にアクセスし、子供が動画を楽しんでいた。
 なにげに声だけ聞いていると、主人公たちが「とある死者の霊を探さねばならない」ということになったところで、僧侶の身なりのダンディな化け狸が「自分は坊主のなりをしているだろ、降霊もできるのだ」と言う。
 思わず「仏教で降霊? いや、ないない、降霊はイタコだろ」と画面を見たとたん、画面には「幸福の科学」「幸福の科学」「大川隆法」という視聴者からのツッコミの書き込みがどっと流れていて絶句した。
 一切マスコミがとりあげないというのに、ニコニコ動画を見る若い人たちの中では、「降霊→大川隆法→幸福の科学→仏教」という流れができあがっているらしい。子供からは「有名なんじゃない」とさらっとした一言。(ちなみに、その「化け狸の降霊」とは、携帯電話で霊界につないで霊界の求人サービスらしきものに頼み、目当ての霊人を呼び出してもらうというもので、その現代的な手軽さまでも、幸福の科学を彷彿とさせた)

 ……と、そんな些事からも、マスコミから閉め出された幸福の科学ははっきりと認知されている。
 特に今回は、党首のCMもかなり感じがよかったので、一議席ぐらい欲しかったなあ、という残念さはあるが、もはやサポーターは全員慣れたもので、結果を聞いても、「よっしゃよっしゃ、勝とうが負けようがかまわんかまわん、勝つまでいけいけ! なんぼでもバックアップしたるわ!」みたいなどっしり感がある様子である。

 しかし、今回、幸福の科学の戦いは、実は終わっていない。
 決着はついていないどころか、「戦いはこれから」なのである。

 ここで、今回の解散に至る経緯を、簡単に解説・おさらいしておく。
 今年、朝日新聞、毎日新聞など、幸福の科学を叩く側であったはずのマスコミすら、「これはおかしい」といって記事にした、文科省による幸福の科学大学の「ドタキャン不認可」。
 幸福の科学大学に対し、それまで内諾を与えていた文科省から発表されたのは、言いがかりに近い不認可理由。
 まったく同時に「創価大学に理系学部新設」、という認可が下りた事実。
 これらは、明らかに親中派のなんらかの介入が色濃く感じられるものだった。
 その背後には、安倍内閣が親中に舵を切った、という心変わりが感じられ、タイミング的に、今後の国防の要となりかねない幸福の科学大学の不認可を、「中国への手土産」にして中国とのトップの会談を行ったとしか思えなかった。

 いっぽうで、大学の不認可が決まってすぐ、大川総裁は霊言集でやんわりと下村大臣の不正を示唆した。
 その霊言で暴かれた「下村大臣金銭問題」は、平たく言えば「教育の長、文科大臣が賄賂の有無で大学の認可不認可を決めていた」という最低の事実だった。
 内閣は衝撃だっただろう。
 このときは、安倍政権にとって、女性二人が打ち落とされた直後だった。
 安倍首相の決断は素早く、下村大臣の不正のニュースが新聞に載る前に解散を決断。
 安倍内閣、危機一髪であった。
 首相の解散の決断とほぼ同時期に、続々と朝日をはじめ、各種マスコミが下村金銭問題をとりあげはじめたのだ。
 おそらく、もしこの下村スキャンダルが、解散決断前に、各新聞の一面に踊り、テレビで流されていたら、安倍政権は、腐心して築いた外交も、高い支持率もひっくるめて成果がすべて吹き飛んでいただろう。
 だが、先手を打った解散のニュースによって、下村文科大臣のスキャンダルは全く知らぬ人もいるほどの、ごく小さな扱いにすることができた。
 この解散が「下村解散」であるというゆえんはそこにある。
 民主党の管・鳩山・野田内閣を崩壊させたように、このたびの震源地はまたも、大川総裁であったのだ。

 さて、その事実を踏まえて。
 もし安倍内閣がもういちど下村議員を文科大臣に据えるなら(今、これを書いている時点では留任しそうである)今度こそ容赦なくじっくり「大学認可で賄賂金をもらう文科大臣」として、マスコミともども、幸福の科学の狙い撃ちがはじまるであろう。
 その上で、幸福の科学は、この大学の不認可に関して、はっきりと異議申し立てをしていくだろう。
 たとえば、文科省を相手に行政訴訟の手続きをとり、十年かけても文科省の過ちを次々に浮き彫りにしていくこともできるはずだ。
 もし、実際に行政訴訟が行われたならどうなるか。
 事実、法律的に見たら、どこから見ても、文科省のこのたびの処置は違法行為なのだから、幸福の科学が引かなければ、遅くとも十年後には勝訴して認可されることになるのは明白だろう。
 その間、幸福の科学側は、ゆうゆうと、その十年間、千葉の設備を私塾として活用し人材を輩出して実績をあげることだろう。
 それら卒業生の活躍によっては、大学が認可したあかつきに、「過去十年、幸福の科学の千葉塾で単位をとった者は、それをすべて幸福の科学大学の単位として認める」とすれば、今これから、「たとえ大卒の資格が得られなくともいい!」とぱかりに、千葉へとはせ参じ、私塾生という立場に甘んじてでもそこで学ぼうとしているすべての生徒さんたちに、将来、全員「大卒」の立派な資格を付与することも可能であると思われる。
 かたや、そのころには文科省はボロボロになっているはずである。
 じつは、これは大学の認可不認可のみをめぐる戦いではないのだ。
 霊言や講義をおっていくとはっきりわかるが、大川総裁の真の狙いは、ずばり「文科省の廃止、ないしは解体」である。
 さらに、文科省の首をとったなら他の省庁、そして大ボスの財務省を討ち取るつもりでいる、と見た。

 要はこういうことだ。
 これから幸福の科学と実現党は、これまで、日本の国と国民たちに、すべての「国益にならぬ規制」をかけてきた省庁を向こうに回し、その多くを廃止・あるいは廃止同然に追い込む、壮絶な戦を起こす、と。

 この戦いは、そのはじまりの「のろし」である。
 その戦いを起こす理由は、「幸福の科学が安倍政権に対する意趣返しする」などという小さいものではなく、「省庁の権限の大幅縮小、ないし削減」こそが日本復活、ひいては世界恐慌を食い止める決め手になるからなのである。
 「アベノミクス」は失敗した。
 だが、安倍首相が、大川総裁の策に自分の名をつけただけの「アベノミクス」は破れても、策を出した大川総裁の「ヘルメスの経済学」とでも言うべきものは、まだ余裕で何枚もの切り札を持っている。
 その一つこそが、「各省庁によるわずらわしい認可権の撤廃」である。
 この一手は、日本を救う。
 同時に、それは世界をも救う。
 世界の大恐慌はもうその兆候が見え始めているが、日本こそが世界の大恐慌を防ぐ、最後の砦となる。
 そのために、これから、この国の多くの人々に、真の実力を発揮させなけねばならない。
 かつてアレキサンダーが、剣をふるってゴルディアスの結び目を解いたがごとく、権益によってがんじがらめに縛られた、日本のいましめを、その言論の鋭い剣で断ち切る必要がある。
 近い将来、この戦略が成功したあかつきには、「いかに日本と言う国が、すさまじい底力を秘めていたか」を、驚きとともに世界が思い知ることだろう。
 今回の衆院選は、その顛末に至る長いストーリーのオープニングであり、仕込まれた伏線の一つである。

 さあ、これからはじまる、痛快な歴史、ヘルメスの戦(いくさ)の展開と成就を、見逃してはなるまい。
 かつて坂本龍馬が、脱藩した郷士、という、全くなんの権力もない立場で、日本の舵取りをし、回天をなしとげたがごとく、いま、負け続けて、一議席もとれず、認可すらされていない日本の一政党が、これから日本を変え、世界をひっくり返してゆく。
 「日本を今一度、洗濯したく候」。
 その維新の英傑の言葉が、ふたたび成就するべく働きはじめたのは、この選挙がターニングポイントであった、と。
 あとになって、いまをふりかえった多くの人は、必ずいつか、そう思うことだろう。

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